黄巣の乱 (875年〜884年)
黄巣の乱は、唐末のにおきた農民反乱。唐の衰退が進行した9世紀後半、政治腐敗によって民衆の生活は困窮の度を増すなか、塩の密売人である黄巣・王仙芝が挙兵すると、民衆がつぎつぎと参加して巨大な民衆反乱となった。反乱軍から寝返って唐朝の汴州節度使となった朱全忠や突厥沙陀部の援軍により鎮圧されたが、この大乱によって唐の支配は事実上崩壊した。
黄巣の乱
東アジア世界の形成と発展
東アジア文化圏の形成
玄宗の政治と唐の衰退
9世紀後半になると、唐(王朝)衰退はいよいよ進行し、政治腐敗によって民衆の生活は困窮の度を増した。こうした中、塩の密売商人で科挙の落第生ともいわれる黄巣が、仲間の王仙芝とともに挙兵すると、窮乏した民衆がつぎつぎと参加して巨大な民衆反乱となった( 黄巣の乱 875〜884)。
黄巣軍は全中国を荒らしまわり、長安を占領して勢力をふるったが、反乱軍から寝返って唐朝の汴州節度使となった朱全忠や突厥沙陀部の援軍により、かろうじて鎮圧された。
しかし、この反乱によって唐の支配は事実上崩壊し、各地の藩鎮が公然と自立・割拠するなかで、907年、唐は朱全忠(後遼の太祖)によって滅ぼされ、中国は五代十国の分裂時代へと突入した。