黄河文明
二里頭遺跡1号宮殿復元 (洛陽博物館)

黄河文明


黄河文明こうがぶんめい 
黄河流域の中・下流域で栄えた新石器時代の農耕文明。仰韶ぎょうしょう(ヤンシャオ)文化から竜山りゅうざん(ロンシャン)文化を経て、・周の青銅器文化に発展した。

黄河文明

紀元前5000年〜紀元前4000年ころから、黄河の中・下流域の黄土地帯の住民は、初期農耕を初めて粟などの雑穀を栽培し、家畜を飼い、磨製石器や彩文土器(彩陶)を用いる新石器文明を形成した。これが中国最古の文明の黄河文明であるが、この黄河文明は、出土土器の特色によって、彩陶を特色とする前記の彩陶文化(紀元前4000〜紀元前3000)と、薄手の黒陶を特色とする後期の黒陶文化(紀元前2000〜紀元前1500)に大きく区分される。

彩陶文化

彩陶文化は、その遺跡が1921年に河南省澠池県仰韶村めんちけんぎょうしょうむらで最初に発見されたので、仰韶文化ともいい、陝西せんせい甘粛かんしゅく省など主として黄河中流域に広く遺跡が分布している。

黒陶文化

黒陶文化は、その遺跡が1930年に山東省歴城県の竜山鎮で最初に発見されたので、龍山文化とも言い、河南・山東省など黄河下流域を中心に、遼東半島から 長江流域まで、かなり広い範囲で遺跡が分布している。

現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている(最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のようにややぼかした表現になっている)。

年表

長江文明と黄河文明のおおよその年表 数字はすべて紀元前

黄河流域 長江上流域 長江中流域 長江下流域
紀元前8000年以前 玉蟾岩遺跡 仙人洞・呂桶環遺跡
7000
|
6000
彭頭山文化
6000
|
5000
湯家崗文化 城背渓文化
5000
|
4000
仰韶文化 馬家浜文化 河姆渡文化
4000
|
3000
大渓文化 崧沢文化
良渚文化
3000
|
2000
竜山文化 宝墩遺跡(龍馬古城) 屈家嶺文化
三星堆遺跡 石家河文化
2000
|
1000
二里頭文化(夏?) 馬橋文化  
二里頭文化    
二里岡文化(殷遷都前) 二里岡文化    
殷遷都後 呉城文化 湖熟文化  
 
1000以降  
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