アイルランド問題 アイルランド問題年表
アイルランド問題年表 ©世界の歴史まっぷ

アイルランド問題


アイルランド問題
アイルランド支配を通じてイギリスが抱えることになった、土地問題・宗教問題・政治問題などの総称。17世紀のオリバー・クロムウェルの征服によって、アイルランドの人々は土地所有・宗教・政治などで差別された。1801年のイギリスへの併合後、アイルランド人は宗教的差別の撤廃を求めて運動を展開し、29年にカトリック教徒解放法を成立させ議会に進出した。その後は、土地問題の解決と自治権獲得(急進派は独立獲得)を求め、議会の内外で民族主義運動を推進していった。現在も、北アイルランド問題は解決されていない。

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アイルランド支配を通じてイギリスが抱えることになった、土地問題・宗教問題・政治問題などの総称。17世紀のオリバー・クロムウェルの征服によって、アイルランドの人々は土地所有・宗教・政治などで差別された。1801年のイギリスへの併合後、アイルランド人は宗教的差別の撤廃を求めて運動を展開し、29年にカトリック教徒解放法を成立させ議会に進出した。その後は、土地問題の解決と自治権獲得(急進派は独立獲得)を求め、議会の内外で民族主義運動を推進していった。現在も、北アイルランド問題は解決されていない。

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欧米における近代国民国家の発展

ヨーロッパの再編

イギリスのヴィクトリア時代

グラッドストン小英国主義をとって植民地の拡大に反対し、アイルランド問題では小作人を保護する土地法案を成立させ*1、さらにアイルランド人の自治を認めるアイルランド自治法案を議会に提出したが*2、保守党の激しい反対にあって流産した。また彼は国内の自由主義的改革を推進し、1870年教育法を制定して公立学校の増設を進めて国民教育の増進をはかり、71年労働組合の法的地位を認めた。さらに秘密投票制の実施など国内の改革に努めた。

*1 アイルランド土地法:1870年に実施され、3F運動の趣旨をおおむね認めてアイルランド小作人の権利を保護した。また81年にも土地法を制定してさらに待遇改善を進めた。
*2 アイルランド自治法案:1886年と93年の2回、グラッドストン内閣が提出した。その後1912年にアスキス Asquith (1852〜1928, 任1908〜15, 1915〜16)内閣が第3次自治法案を提出したが、アルスターのプロテスタントの反対にあった。

植民地では白人系の植民地を中心に自治を獲得する動きが活発となった。1867年カナダが連邦として自治政府をつくり、1901年オーストラリア、07年ニュージーランド、10年南アフリカ連邦が自治領となった。

しかし、アイルランドだけはイギリスの懸案事項であった。1829年のカトリック教徒解放法によって宗教的差別がなくなったあとは土地問題がおこり、40年代に青年アイルランド党による合同撤回運動が展開された。1845年からのアイルランドにおけるジャガイモの不作は大量の餓死者を生み、アメリカやイギリス本国に移民する者が大量にでた。

アイルランド人はコティヤー(入札小作人)と呼ばれる隷属的な小作人で、生産した小麦はイギリスに輸出し、ジャガイモを主食としていたためその不作がアイルランドの大量餓死者を出した。大飢饉のおきたときもイギリスへの小麦輸出は以前と変わらない水準であった。

50年代には小作人同盟の小作人救済運動(3F運動)がおこり、さらにフェニアン党 Fenians による土地国有化運動が展開された。19世紀末になるとグラッドストンと提携する勢力もあったが、自治法案の流産さらにはアルスター(北アイルランド)の分離運動がさかんになると、アイルランドの統一を主張するシン=フェイン党 Sinn Fein (「われわれ自身」という意味)が20世紀に入って勢力を拡大し、問題は依然未解決であった。

小作人救済運動(3F運動):アイルランド小作人同盟の要求が3Fであった。3Fとは、①小作権の安定 Fixty of Tenure, ②妥当な地代 Fair Rent, ③小作権売買の自由 Free Sale, の頭文字からとられた呼称である。
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