アジャンターの石窟寺院群
ムンバイ(ボンベイ)の北東約360kmの断崖にある全長約600mのアジャンターの石窟寺院群には、30以上の石窟が並ぶ。石窟は、紀元前2世紀〜2世紀の前期窟と、グプタ朝時代の5世紀の中ごろ〜7世紀の後期窟に分けられる。
アジャンターの石窟寺院群
アジア仏教美術の源流
ムンバイ(ボンベイ)の北東約360kmの断崖にある全長約600mのアジャンターの石窟寺院群には、30以上の石窟が並ぶ。石窟は、サータヴァーハナ朝時代の紀元前2世紀〜2世紀の前期窟と、グプタ朝時代の5世紀の中ごろ〜7世紀の後期窟に分けられる。
前期窟にある壁画話はほとんど剥がれ落ちているが、第10窟にはインド最古の壁画が残っている。礼拝のためのチャイティヤ窟には浮き彫りや仏像がみられ、僧侶たちが居住するためのヴィハーラ窟にはブッダの前世の説話(本生話)や伝記(仏伝図)などの壁画がある。
第1窟の蓮華手菩薩は法隆寺金堂の壁画にも影響を与えたといわれ、アジャンターはアジアの仏教美術の源流といえる。また、唐の玄奘はアジャンターを訪れ、その繁栄ぶりを『大唐西域記』に記している。
前期窟にある壁画話はほとんど剥がれ落ちているが、第10窟にはインド最古の壁画が残っている。礼拝のためのチャイティヤ窟には浮き彫りや仏像がみられ、僧侶たちが居住するためのヴィハーラ窟にはブッダの前世の説話(本生話)や伝記(仏伝図)などの壁画がある。
第1窟の蓮華手菩薩は法隆寺金堂の壁画にも影響を与えたといわれ、アジャンターはアジアの仏教美術の源流といえる。また、唐の玄奘はアジャンターを訪れ、その繁栄ぶりを『大唐西域記』に記している。