アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
ウンブリア州にあるアッシジは、古代ローマの聖域で13世紀の新都市化とともに栄えた町。フランチェスコ会の活動と深い関わりをもつ土地でもあり、アッシジのフランチェスコとアッシジのキアラの生誕地。聖人の遺骨を埋葬するサン・フランチェスコ聖堂は1228年の建立で、イタリア・ゴシック様式初期の代表作である。また、14世紀以後、チマブエやジョットの絵画など中世芸術の傑作を生み出し、イタリアやヨーロッパの芸術や建築を発展させた根源とされる。世界遺産。
アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群
主な構造物
サン・フランチェスコ聖堂
アッシジに生まれ、死後に聖人に列せられたアッシジのフランチェスコ(フランチェスコ会創始者)の功績をたたえるために建設されたといわれている。1228年にグレゴリウス9世(ローマ教皇)によって建築が始まり、1253年に一応の完成をみたと言われている。また建築に際してはフランチェスコの弟子であった兄弟団の総長エリアの働きかけが大きかったといわれている。その後、何度も改修が行われて現在の姿になった。
聖堂は、町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式と異なっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット・ディ・ボンドーネ、マルティーニなどの画家の手になるフレスコが多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる聖人フランチェスコの生涯、28の場面を描いたフレスコ画が、また下堂には『玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ』がそれぞれ一番の見所である。1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震で聖堂の建物は大きく損傷してしまったが、ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。
ジョットが描いた『小鳥への説教』。フランチェスコが小鳥へ説教する伝説の場面を描いたものである。
サンタ・キァーラ修道院
聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。キァーラは、アッシジの貴族の娘であったが、フランチェスコの教えに賛同してこの世の財産を全てを放棄し、1212年に清貧の精神を生きる女性たちのグループをつくった。これが女子修道会クララ会の始まりである。大聖堂は彼女の死後、13世紀中に建築された。修道院地下にはキァーラの遺骸を収めた部屋がある。ピンクと白の縞模様を特徴としている。
参考 Wikipedia
近代ヨーロッパの成立
ルネサンス
イタリア・ルネサンスの美術と天才たち
中世のゴシック絵画の完成者である ジョット・ディ・ボンドーネ(1266年頃〜1337年)は、またルネサンス絵画の先駆者でもある。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の壁画を始めとする彼の多くの作品は、人間性と宗教性を融合した絵画の新しい表現様式をつくりだした。