アドリアノープル条約 Adrianople (1829.9.14)
ロシアとオスマン帝国間に結ばれた講和条約。ギリシア独立戦争に干渉したロシアは、コンスタンチノープルの北西、アドリアノープルを占領、プロイセンの調停でこの条約を結んだ。ロシアは黒海東北岸とドナウ河口を領土とし、グルジアなど外コーカサスの土地も併合、さらにボスポラス、ダーダネルス両海峡の自由な航行権を得、モルドバ、ワラキア、セルビアの自治とギリシアの独立をオスマン帝国に認めさせた。
アドリアノープル条約
エディルネ条約とも呼ばれる。1829年9月14日、ロシアとトルコとの間に結ばれた講和条約。28年ギリシア独立戦争に干渉したロシアは、翌29年8月コンスタンチノープル(現イスタンブール)の北西、アドリアノープル(現エディルネ)を占領、プロイセンの調停でこの条約を結んだ。ロシアは黒海東北岸とドナウ河口を領土とし、グルジアなど外コーカサス(カフカス)の土地も併合、さらにボスポラス、ダーダネルス(現チャナッカレ)両海峡の自由な航行権を得るとともに、モルドバ、ワラキア、セルビアの自治とギリシアの独立とをトルコに認めさせた。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
ヨーロッパ主権国家体制の展開
危機の時代の主権国家
ロシアの台頭
南方では2度にわたってオスマン帝国と戦って、クリミア半島など黒海沿岸を奪った(ロシア=トルコ戦争)。この結果、黒海はロシアの内海となった。
欧米における近代国民国家の発展
ウィーン体制
ギリシア独立戦争
こうした情勢のもと1829年ロシアとオスマン帝国間でアドリアノープル条約が締結され、ボスフォラス・ダーダネルス両海峡の通航権の確保や領土の割譲をオスマン帝国に強制しながら、ギリシアの独立が両国間で認められた。翌30年ロンドン会議 London が開催されて国際的認証がなされ、1832年、バイエルンの王子オットーが国王としてむかえられ、ギリシア王国が成立した。