世界史1200人
アレクサンドロス大王
圧倒的な強さで大帝国を築く
暗殺された父・ピリッポス2世に代わり、20歳でアルゲアス朝マケドニアのバシレウス(王)に即位したのがアレクサンドロス3世。アレクサンドロスは暗殺に端を発した反乱を平定し、ヘラス同盟(スパルタ以外のギリシア諸市を糾合したもの)の盟主に就いた。
東征を始めると、またたく間にペルシアのダレイオス3世に勝利し、続いてエジプトも制圧した。先陣をきって剣を振るうアレクサンドロスは、神がかり的に強く、将兵から絶大な人気を得たという。当時、大帝国ペルシアの制圧下におかれていたエジプト民衆は、アレクサンドロスを歓迎。アレクサンドロスはアモン神殿で「神の子」と信託を受けた。エジプトには半年間滞在し、アレクサンドリアを建設している。
その後、アケメネス朝ペルシアを滅ぼすと、バビロン、スサ(現イラン)を攻略。さらに次の東征では、西北インドのパンジャーブ地方までの大帝国を築くが、疲弊した兵士たちがそれ以上の進軍を拒んだため、やむなくいったん引き返すことにした。
ところが、バビロンまで戻ったアレクサンドロスが、そこで新都を築こうと思った矢先、熱病にかかり、あっけなく32歳の生涯を閉じた。
東西融合のヘレニズム文化が開花
ペルシアの王宮を見たアレクサンドロスは、ペルシア王の豪華な生活ぶりに驚愕したという。アレクサンドロスはマケドニア人とペルシア人との結婚を推奨し、自身もダレイオス3世の皇女や、バクトリアの王女を娶った。ペルシアの制度や人材を積極的に取り入れ、いっぽうでギリシア文化の東伝にも務めた。ペルシアから没収した大量の金銀で貨幣経済を発展させた結果、東西貿易も盛んになった。
こうしたオリエントとギリシアが融合して生まれた文化がヘレニズム文化である。
アレクサンドロスは後継者にこだわらず、特に指名もしなかったため、アレクサンドロスの死後に内乱が起こった。大帝国は分裂後、アレクサンドロスの血筋は絶えた。
英雄を倒したのは一匹の蚊?
大王がバビロンで発熱した原因はマラリアと考えられている。マラリアは、ハマダラカが媒介するマラリア原虫が原因でおこる感染症。適切な処置をしないと、わずかな期間で重症化し、死に至る。大王も発熱後10日間で命を落とした。古代最大の英雄の命を奪ったのは、一匹の蚊だったのかもしれない。
同時代の人物
稲作の始まり
福岡市の板付遺跡は縄文末期から弥生初期の遺跡で、水田跡から人の足跡や炭化米が発見されていることから、水稲栽培が行われていたことを実証する遺跡として知られている。