アンリ2世(フランス王)( A.D.1519〜A.D.1559)
ヴァロワ朝第10代フランス王(在位1547年3月31日 - 1559年7月10日)。「カトー・カンブレジ条約」を締結し、イタリアから撤退した。和解後、カール5世の息子フェリペ2世とアンリ2世の娘エリザベートの婚姻がおこなわれたが、その祝宴の馬上槍試合で、アンリ2世は右目を貫かれる事故に遭い、その傷がもとで死去した。
アンリ2世(フランス王)
イタリアから撤退して戦争を終結させる
28歳で王位に就いたアンリ2世は、父親のフランソワ1世(フランス王)の対外政策を引き継ぎ、ハプスブルク家のカール5世(神聖ローマ皇帝)と戦ったが、イタリアでのハプスブルク家の優位は不動であった。やむなくアンリ2世は「カトー・カンブレジ条約」を締結し、イタリアから撤退した。
和解後、カール5世(神聖ローマ皇帝)の息子フェリペ2世(スペイン王)とアンリ2世(フランス王)の娘エリザベート・ド・ヴァロワの婚姻がおこなわれたが、その祝宴の馬上槍試合で、アンリ2世は右目を貫かれる事故に遭う。手は尽くされたが、その傷がもとで、アンリ2世は死去した。
アンリ2世の死後、フランス国内は40年近くにわたって、カトリックとプロテスタントが争う「ユグノー戦争」が起こることになる。
アンリ2世はカトリーヌを妃としたが、結婚後もディアーヌ・ド・ポワチエを愛人としていたため、カトリーヌとは不仲であったといわれる。
子女
王妃カトリーヌとの間に10人の子女をもうけた。
- フランソワ2世(フランス王)(1544年 – 1560年) – フランス王
- エリザベート・ド・ヴァロワ(1545年 – 1568年) – フェリペ2世(スペイン王)妃
- クロード・ド・ヴァロワ(1547年 – 1575年) – シャルル3世(ロレーヌ公)妃
- ルイ(1549年 – 1550年) – オルレアン公
- シャルル9世(フランス王)(1550年 – 1574年) – フランス王
- アンリ3世(フランス王)(1551年 – 1589年) – ポーランド王、後にフランス王
- マルグリット・ド・ヴァロワ(1553年 – 1615年) – ナバラ王・フランス王アンリ4世(フランス王)妃
- フランソワ(アンジュー公)(1555年 – 1584年) – アンジュー公
- ジャンヌ(1556年) – ヴィクトワールと双子
- ヴィクトワール(1556年) – ジャンヌと双子