イェルサレム Jerusalem(エルサレム)
ダヴィデがイスラエル王国の首都とし、南北分裂後はユダ王国の首都になった。ユダヤ教のみならず、キリスト教・イスラーム教の聖地でもある。ソロモンが建設したヤハウェ神殿の一部が、「嘆きの壁」として残っている。
イェルサレム
ダヴィデがイスラエル王国の首都とし、南北分裂後はユダ王国の首都になった。ユダヤ教のみならず、キリスト教・イスラーム教の聖地でもある。ソロモンが建設したヤハウェ神殿の一部が、「嘆きの壁」として残っている。
イェルサレムは紀元前4000年頃に築かれたといわれるが、紀元前1000年頃ダヴィデ王により古代ユダヤ王国の聖都とされ、その後イエスの処刑と復活の地としてキリスト教の聖地となった。
638年にはアラブの支配下に入り、メッカ、メジナに次ぐイスラームの第3の聖地となり、16世紀以降はオスマン帝国の支配のもと、城壁で囲まれた旧市内に集中する3宗教の聖地が保護され、宗教的共存の時代が続いた。東半の旧市街は 1948年から 1967年までヨルダンに属していたが、六日戦争 (第3次中東戦争) 後の 1967年6月にイスラエルが占領、統一都市として管轄権を主張したが、ヨルダン、国際連合のいずれもがこれを承認していない (→イェルサレム問題 ) 。
標高 800mのユダ山地上にあり、地中海性気候のため夏は暑く乾燥するが、冬は雨が多い。城壁に囲まれた旧市街には宗教史上の遺跡がきわめて多く、1981年ヨルダンの推薦で世界遺産の文化遺産に登録。新市街は 20世紀になって開けた近代都市で、官庁、ヘブライ大学などの文化機関が多く、伝統的な旧市街と対照をなす。
宗教
ユダヤ教
イェルサレムはイェルサレム神殿が置かれていた聖地であり、ユダ王国の首都であった場所。現在嘆きの壁が残る。
キリスト教
キリスト教:イエスキリストが教えを述べ、処刑、埋葬、復活したとされる場所。現在それらの場所に協会が建っている。
イスラーム
ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされ、岩のドーム、アル=アクサー・モスクが残る。
メモ
アラビア語で聖地の意味のイェルサレムは、ユダヤ教徒にとってはソロモンによる神殿建設の場であり、キリスト教徒にとってはイエスの死と復活の舞台であった。またイスラーム教徒にとっても、イェルサレムはメッカ、メディナにつぐ第3の聖地であった。それは、預言者ムハンマドが天馬に乗ってメッカからイェルサレムによるの旅をし、そこから天に昇って神にまみえたとする伝説にもとづいている。ムハンマドは、「岩のドーム」の中央にある灰白色の聖石から天に旅立ったとされる。
歴史
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エルサレムの歴史
年 | 支配国 | 内容 |
---|---|---|
紀元前30世紀頃 | カナンで古代セム系民族がおフェルの丘に集落を築いたのが起源とされる。 | |
紀元前1000年頃 | ヘブライ王国 | ヘブライ王国が成立し、ダビデ王によって都と定められる。 |
ヘブライ王国 | ソロモン王がエルサレム神殿を建設 (第一神殿)。 | |
紀元前930年頃 | ユダ王国 | ヘブライ王国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都となる。 |
紀元前597年 | 新バビロニア王国ネブカドネザル2世により、住民はバビロン捕囚となり、エルサレム神殿は破壊されユダ王国は滅びる。 | |
紀元前539年 | 新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに滅ぼされ、ペルシア王キュロス2世に許されユダヤ人はエルサレムへの帰還する。 | |
紀元前515年 | エルサレム神殿再建(第二神殿) | |
アレクサンドロス帝国 | アレクサンドロス帝国に支配される | |
セレウコス朝シリア | セレウコス朝シリアに支配される | |
紀元前140年頃 | ハスモン朝 | ユダヤ人がハスモン朝を建てて自立 |
紀元前37年 | ヘロデ朝 | ヘロデ大王によってヘロデ朝が創始されローマの支配下になる。第二神殿を巨大なヘロデ神殿へと完全に改築する。 |
6年 | ユダヤ属州創設。州都はカイサリアに置かれたが、エルサレムは宗教の中心として栄え続けた。 | |
イエスキリストがエルサレムに現れる。 | ||
30年頃 | 属州総督ポンティウス・ピラトゥスによってイエスキリストが処刑される。 | |
66年 | 帝政ローマ(ネロ帝)とユダヤ戦争勃発。 | |
70年 | 帝政ローマ | エルサレム攻囲線によってエルサレムは陥落し、エルサレムにユダヤ人の居住は禁止される。 |
132年 | 帝政ローマ | バル・コクバの乱を起こしたが鎮圧されエルサレムはローマ植民市アエリア・カピトリナとして再建される。ユダヤ人はエルサレムを追われ、ディアスポラする。 |
313年 | ローマ帝国 | ローマ帝国コンスタンティヌス1世がミラノ勅令でキリスト教を公認する。 |
320年頃 | ローマ帝国 | コンスタンティヌス1世の母太后聖ヘレナが巡礼を行ったことでエルサレムはキリスト教の聖地と化した。市名はエルサレムに戻され、聖墳墓教会が建てられた。 |
ローマ帝国 | ユリアヌスの時代にユダヤ人のエルサレム居住が許可される。 | |
638年 | アラブ軍(初期イスラーム共同体(ウンマ)第2代正統カリフ・ウマル・イブン・ハッターブ)征服でイスラム勢力の統治下におかれる。イスラムはエルサレムを第三の聖地としている。 | |
692年 | ウマイヤ朝 | かつてのエルサレム神殿内に岩のドームが建設される。 |
970年 | ファーティマ朝 | シーア派を掲げるファーティマ朝(第4代カリフ・ムイッズ)の支配下におかれる。 |
11世紀後半 | セルジューク朝 | スンナ派のセルジューク朝が占領。略奪・異教徒を含む住民の虐殺を禁止してたためエルサレムの平安は維持された。 |
1098年 | ファーティマ朝 | ファーティマ朝が再びエルサレムを奪回する。 |
1099年 | エルサレム王国 | 第1回十字軍のエルサレム攻囲戦により多くのムスリム、ユダヤ教徒を虐殺し、エルサレム王国を成立させる。ムスリム、ユダヤ人のエルサレム居住を禁止する。 |
12世紀後半 | アイユーブ朝 | アイユーブ朝のサラディンがエルサレムを奪回し、イスラム勢力の支配下におかれる。カトリックは追放されたが正教会やユダヤ人の居住は許可される。 |
1229年 | 神聖ローマ | 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が、アイユーブ朝のスルタンアル=カーミルとの交渉によりエルサレムの譲渡を認めさせる。 |
1239年 | アッバース朝 | アッバース朝第34代カリフ・ナースィルがエルサレムを奪回する。 |
マムルーク朝 | スンナ派のイスラム王朝、マムルーク朝の支配下におかれる。 | |
オスマン朝 | オスマン帝国の支配下におかれる。 | |
19世紀後半 | ヨーロッパでシオニズムが高まりを見せ、パレスチナ、特に聖地エルサレムへのユダヤ人の移住が急増する。 | |
イギリス委任統治領 | 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、国際連盟によってイギリス委任統治領パレスチナとなり、エルサレムが首都となる。 | |
1947年 | 第二次世界大戦後、国際連合のパレスチナ分割決議においてパレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを永久信託統治とする案を決議する際に、イスラエルが独立宣言するが、直後に第一次中東戦争が勃発する。 | |
1949年 | 休戦協定により西エルサレムはイスラエルが、東エルサレムをヨルダンが統治することになり、エルサレムは東西に分断される。 | |
1967年 | 第三次中東戦争(6日間戦争)を経て、ヨルダンが統治していた東エルサレムは、現在イスラエルの実効支配にある。イスラエルは東エルサレムの実効支配を既成事実化するため、ユダヤ人入植を勢力に進めている。 |