キュロス2世 Kyros (紀元前600年頃〜紀元前529年)
アケメネス朝の建国者(在位紀元前559年頃 - 紀元前529年)。メディア・リディア・新バビロニアを滅ぼした。バビロンに捕囚中のユダヤ人を解放した。
キュロス2世
アケメネス朝の建国者(在位紀元前559年頃 - 紀元前529年)。メディア・リディア・新バビロニアを滅ぼした。バビロンに捕囚中のユダヤ人を解放した。
イラン高原にアケメネス朝を創建
ペルシアはもともとメディア王国に属していた。父王カンビュセス1世はメディア王女マンダネを妻とし、キュロスをもうける。長じてキュロスはメディア王国を打倒してイラン高原での覇権を確立、続いてリディア、新バビロニアを滅ぼし、西アジア世界を包み込む大帝国の支配者となった。これがギリシア語でいうアケメネス朝、古代ペルシア語でいうハハマーニシュ朝の始まりである。
キュロスは治世のほとんどを各地の反ペルシア勢力を討伐することに費やし、内政の実を上げるまでにはいたらなかった。それにもかかわらず、後世まで理想の君主と讃えられ、ときに大王の称号を冠して呼ばれるのは、彼が支配下の諸民族や諸文化に対して寛容な態度でのぞんだからである。
『旧約聖書』は、キュロスがバビロン捕囚のユダヤ人に帰還を、さらにイェルサレム神殿の再建を許したことから、彼をメシア(救世主)と讃えてさえいる。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ヘブライ人とユダヤ教
イスラエルは紀元前722年にアッシリアのサルゴン2世に、またユダは紀元前586年に新バビロニアのネブカドネザル2世に征服されて、いずれの場合も住民の多くが強制居住させられた。とくに後者によるバビロニアへの連行は、「バビロンの捕囚」として長く後世に記憶されることになる。紀元前538年にアケメネス朝のキュロス2世がバビロニアを占領したとき、ユダヤ人は帰国を許されたが、彼らはその後も長い間、異民族の支配のもとで辛酸をなめねばならなかった。
アケメネス朝
ペルシア人たちは同じくイラン系のメディアの支配下におかれていたが、アケメネス家のキュロス2世(在位紀元前559〜紀元前530)が紀元前550年にメディアを倒して独立王国を樹立した。彼がさらに紀元前546年にリディアを、紀元前538年に新バビロニアを滅ぼしたあと、その子のカンビュセス2世は紀元前525年にエジプトを征服し、第3代のダレイオス1世の時代には、東はインダス川より西はエーゲ海北岸、南はエジプトまでを含む大帝国に発展した。