クロヴィス1世
A.D.465〜A.D.511
フランク王国メロヴィング朝初代国王(在位481年 - 511年)。フランク族を統一し、フランク王国を建国。家臣とともにアタナシウス派に改宗。領土をほぼガリア全域に広げ、フランク王国はイタリアの東ゴート族と並ぶ強国とした。
クロヴィス1世
教会を後ろ盾にガリア全域の占領に成功
全フランク族を統一して初代王となったクローヴィスは、メロヴィング朝を創設。ベルギー、フランスを統一した。ローマの文化をいち早く取り入れ、兵士3千人とともに異教徒からカトリックに改宗。ローマ強化と手を組んでフランク王国の基礎をつくった。
異端から正統へ改宗しフランク王国を建国する
375年より、スカンジナビア半島南部から大移動を始めたゲルマン人は、西ローマ帝国内の定住先に諸国家を建てた。その中でガリアにつくられたのがフランク王国。建国者はメロヴィング家のクローヴィスである。
ローマ帝国では、コンスタンティヌス1世によって正統とされたキリスト教・アタナシウス派が信仰されていたが、ゲルマン人の大半は異端のアリウス派だった。
そのため先住民との対立が起こり、ゲルマン人の多くの国は短期間で滅びた。
ところがクロヴィスの妻・クロティルダがカトリック(アタナシウス派)だったため、感化されたクロヴィスは家臣3000名とともにアタナシウス派の洗礼を受けた。
この結果、ローマ教会や貴族との提携に成功し、先住民との関係が円滑になり、フランク王国発展の基礎が築かれた。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ゲルマン諸国家
フランク人はサリー・リブアリー・上フランクの3つの勢力からなり、ライン下流域に居住していた。その後、ガリア北部に移動し、5世紀になると多数の小国家をつくった。
これらを統一し、フランク王国を建設したのがサリー人のメロヴィング家からでたクロヴィス1世である。
他のゲルマン諸国が短命に終わる中で、フランク王国は9世紀まで存続し、西ヨーロッパ世界の形成に大きな役割を果たした。
フランク王国の発展とイスラームの侵入
その要因として見逃せないのが、クロヴィス1世によるアタナシウス派キリスト教への改宗(496年)である。すでに他のゲルマン諸国はいち早くキリスト教を受け入れていたが、それはニケーア公会議(325年)で異端とされたアリウス派のキリスト教であった。したがってローマ系住民やカトリック教会との関係の円滑化という点で、クロヴィスのアタナシウス派への改宗は賢明な政策であった。
それとともにメロヴィング朝の王権はおとろえ、かわって各分国の宮宰が実権を掌握することになった。
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