グラッドストン
グラッドストン(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

グラッドストン


グラッドストン Gladstone( A.D.1809〜A.D.1898)

イギリス自由党の政治家。1868〜94年までに4回首相となり、内政改革を重視して教育法や労働組合法の制定、第3回選挙法改正をおこなったうえ、アイルランド問題の解決を目指した。外交政策では同時代のビスマルク外交と距離をおいた。

グラッドストン

イギリス自由党の政治家。1868〜94年までに4回首相となり、内政改革を重視して教育法や労働組合法の制定、第3回選挙法改正をおこなったうえ、アイルランド問題の解決を目指した。外交政策では同時代のビスマルク外交と距離をおいた。

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欧米における近代国民国家の発展

ヨーロッパの再編

イギリスのヴィクトリア時代

ヴィクトリア女王 Victoria (位1837〜1901)の在位は64年の長期にわたったが、女王在位の期間はイギリスの政治・経済・社会の面で繁栄期であった。19世紀はイギリスが経済的に繁栄し、圧倒的な海軍力を保持していたことから「パクス=ブリタニカ Pax Britannica」と呼ぶこともある。

政治の分野では保守党自由党による二大政党政治が展開された。1867年、都市労働者にも選挙権を拡大する第2回選挙法改正が議会を通過し、84年の第3回選挙法改正では農業労働者や鉱山労働者にも選挙権が拡大して事実上男性普通選挙制が実現し、議会主義制度はいっそう発展した。この時期活躍したのが自由党のグラッドストン Gladstone (1809〜98 任1868〜74, 80〜85, 86, 92〜94))と、保守党のディズレーリ Distaeli (1804〜81 任1868, 74〜80)であった。グラッドストン小英国主義をとって植民地の拡大に反対し、アイルランド問題では小作人を保護する土地法案を成立させ*1、さらにアイルランド人の自治を認めるアイルランド自治法案を議会に提出したが*2、保守党の激しい反対にあって流産した。また彼は国内の自由主義的改革を推進し、1870年教育法を制定して公立学校の増設を進めて国民教育の増進をはかり、71年労働組合の法的地位を認めた。さらに秘密投票制の実施など国内の改革に努めた。

19世紀のイギリス・フランス 19世紀のイギリス・フランス年表
19世紀のイギリス・フランス年表 ©世界の歴史まっぷ
*1 アイルランド土地法:1870年に実施され、3F運動の趣旨をおおむね認めてアイルランド小作人の権利を保護した。また81年にも土地法を制定してさらに待遇改善を進めた。
*2 アイルランド自治法案:1886年と93年の2回、グラッドストン内閣が提出した。その後1912年にアスキス Asquith (1852〜1928, 任1908〜15, 1915〜16)内閣が第3次自治法案を提出したが、アルスターのプロテスタントの反対にあった。
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