サイクス・ピコ協定 A.D.1916〜
イギリス・フランス・ロシアの3国が戦後のオスマン帝国領の扱いを定めた秘密協定。サイクスとピコは協定をまとめた英・仏の外交官。各国の勢力範囲の画定とパレスチナの国際管理を定めた。ロシア革命後、革命政府が暴露し、内容がフセイン・マクマホン協定と矛盾することからアラブ側を憤激させた。
サイクス・ピコ協定
イギリス・フランス・ロシアの3国が戦後のオスマン帝国領の扱いを定めた秘密協定。サイクスとピコは協定をまとめた英・仏の外交官。各国の勢力範囲の画定とパレスチナの国際管理を定めた。ロシア革命後、革命政府が暴露し、内容がフセイン・マクマホン協定と矛盾することからアラブ側を憤激させた。
二つの世界大戦
第一次世界大戦とロシア革命
戦時秘密外交
戦争が長期の総力戦になるなかで、両陣営とも内部の結束を固め、中立国を味方に引き入れるために戦後の領土の再分配を決めた条約を秘密のうちに結んだ。そのころには、国家間の対立する利害を調整する外交交渉は、議会や世論の動向に左右されるのはよくないという考え方が支配的であったのである(秘密外交)。
1916年5月、イギリス・フランス・ロシアは戦後のオスマン帝国領の分割を約束し、パレスチナを国際管理地域とするサイクス・ピコ協定(サイクスとピコは交渉にあたった外交官の名前)を結んだ。両陣営はまた植民地の人々を動員するために戦後の自治や独立を約束した。あるいは、敵国の植民地における民族独立運動を支援する工作をおこなって戦争を有利に進めようとした。
西アジアでは、イギリスはオスマン帝国の背後でアラブ人の反乱がおきることを期待してアラブ民族運動の指導者フセインとの間でアラブ人の独立国家建設を約束したフセイン・マクマホン協定を結んだ(1915年)。