ジェームズ・ワット( A.D.1736〜A.D.1819)
イギリスの発明家。トーマス・ニューコメンが発明した蒸気機関に改良を加えて実用性を高め、産業革命を大きく推進させた。彼の栄誉を称え、国際単位系 (SI) おける仕事率の単位には「ワット」という名称がつけられた。
ジェームズ・ワット
産業革命をもたらした蒸気機関の改良
ジェームズ・ワットは、機械技師トーマス・ニューコメンが1712年に実用化した蒸気機関に、数多くの改良を施した。とくに秀逸だったのは、シリンダーと冷却装置の分離と、往復運動の回転運動への変換。つまり、燃費の飛躍的な向上と、用途の大幅な拡大である。
船大工の子ワットは虚弱で学校教育を受けられなかった。ロンドンで実験器具製造の徒弟となり、グラスゴーで開業を目指すが地元ギルドの横槍で断念。グラスゴー大学付きの精密機械製造者となり、ギルドの力が及ばない学内に工房を置く。教授たちと接しながら力学や物理学を独習、大学所有の蒸気機関模型の修理を通じ改良を思い立つ。資金難や妻の死に道を阻まれ、完成に20年を要した。
これにより、鉱山の排水用くらいしか使い道のなかった蒸気機関は工場に置かれるようになった。その結果、多くの技術者の目に触れてさらなる改良が加えられ、機関車などの輸送動力へ進化する可能性が開けたのである。
蒸気機関は改良が進められ、産業革命の原動力となっていった。
略年表
- 1736:スコットランドで生まれる
- 1754:ロンドンで働く
- 1757:グラスゴー大学内に工房を設ける
- 1765:蒸気機関を改良し自作
- 1769:新方式の蒸気機関を開発
- 1776:業務用の動力機関を完成
- 1794:蒸気機関製造会社を設立
- 1800:事業から引退
- 1819:バーミンガムの自宅で逝去
産業革命(イギリスを中心とする技術進歩のあゆみ)
年 | 発明者 | 技術 |
---|---|---|
1705 | トマス・ニューコメン | 蒸気機関を開発 |
1709 | エイブラハム・ダービー2世 | コークス製鉄法を開発 |
1733 | ジョン・ケイ | 飛び杼を発明 |
1764 | ジェームズ・ハーグリーブス | ジェニー紡績機を発明 |
1769 | ジェームズ・ワット | 蒸気機関車の改良に成功 |
1769 | リチャード・アークライト | 水力紡績機の特許取得 |
1779 | サミュエル・クロンプトン | ミュール紡績機を発明 |
1784 | ヘンリー・コート | パトル製鉄法(攪拌精錬法)を開発 |
1785 | リチャード・アークライト | 特許取り消し |
1785 | エドモンド・カートライト | 力織機を発明 |
1796 | エドワード・ジェンナー | 種痘接種に成功 |
1807 | ロバート・フルトン(米) | 汽船発明 |
1814 | ジョージ・スチーブンソン | 蒸気機関車の試運転に成功 |
1825 | [ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道] | 最初の蒸気機関車による鉄道開通 |
機械化と工場制度 – 世界の歴史まっぷ
同時代の人物
本居宣長(1730〜1801)
市井の国学者。誰にも読めなかった古事記の解読に成功。ジェームズ・ワットが蒸気機関を完成させる前年に注釈書『古事記伝』を寄稿、35年をかけて全44巻を執筆した。