スコータイ朝 (13世紀〜15世紀)
雲南方面から南下してきたタイ人が、クメール王国の衰えた13世紀半ばに、メナム川中流域のスコータイで創始した。タイ最初の王朝。全盛期の王はラームカムヘーン王である。上座部仏教が保護され、寺院や塔がたてられ、仏像がさかんに造られた。これらの建築や彫刻の様式は、それ以後のタイ美術に大きな影響を与えている。タイ(シャム)文字がつくられた。1351年に南方でアユタヤ朝がおこるとしだいに圧迫され、1438年にこれにとってかわられた。
スコータイ朝
アジア・アメリカの古代文明
東南アジアの諸文明
民族国家の形成
スコータイ朝
タイ人(タイ)
半島の中央部、今日のタイの地には、はじめモン人・クメール人の国家が存在していたが、雲南方面から南下してきたタイ人は、クメール王国(アンコール朝)の衰えた13世紀半ばに、メナム川中流域のスコータイで最初の王朝(スコータイ朝 1257頃〜1438頃)を創始した。
全盛期の王はラームカムヘーン(位1279頃〜1299頃)である。この王朝では上座部仏教が保護され、寺院や塔がたてられ、仏像がさかんに造られた。これらの建築や彫刻の様式は、それ以後のタイ美術に大きな影響を与えている。タイ(シャム)文字がつくられたのもこの時代である。1351年に南方でアユタヤ朝がおこると、スコータイ朝はしだいに圧迫され、1438年にこれにとってかわられた。
アジア諸地域の繁栄
清代の中国と隣接地域
清朝と東南アジア
四川・雲南地方にいたタイ人は、8世紀ころからしだいにインドシナ半島へ南下し、クメール人のカンボジア(真臘)に従属していたが、13世紀のモンゴル人による雲南地方への侵入でタイ人の南下がさらに活発となり、カンボジアが衰えるとこれを破って自立し、スコータイ朝(1257頃〜1438頃)をたてた。第3代国王ラームカムヘーン(ラーマカムヘン 位1275〜1317)の時が全盛期で、王はタイ文字を制定し、上座部仏教をとりいれ、その勢力はマレー半島までおよんだ。しかし王の死後は急速に衰え、メナム川下流にタイ人のアユタヤ朝(1351〜1767)が建国されると、しだいに勢力を奪われた。アユタヤ朝は上座部仏教国として栄え、日本人の山田長政が活躍したことで知られるが、18世紀になるとミャンマーのコンバウン朝の侵入をうけて滅んだ。
歴代王
- シーインタラーティット
- バーンムアン
- ラームカムヘーン
- ルータイ
- グワナムトゥム
- リタイ
- サイルータイ
- マハータンマラーチャー3世
- マハータンマラーチャー4世