タンネンベルクの戦い(第一次世界大戦 > 東部戦線)(1914.8.17〜9.2)
ドイツのヒンデンブルク将軍が、ポーランド北東部のタンネンベルクでロシア軍を殲滅した戦い。ポーランドなどロシア領内に進撃したが、国土の広さや厳しい冬の気候のため決着の見通しはたたなかった。
タンネンベルクの戦い
ドイツのヒンデンブルク将軍が、ポーランド北東部のタンネンベルクでロシアを破り、東部戦線の主導権を握った戦い。
二つの世界大戦
第一次世界大戦とロシア革命
ロシア革命
大戦が勃発するとロシアでも、ボリシェヴィキとメンシェヴィキをのぞいて国会は政府との戦争協力体制に入った。しかし、緒戦のタンネンベルクの戦いで敗北を喫したあと、1915年春から夏にかけてのガリツィアとポーランドでも大敗して挙国一致体制は激しく動揺した。前線の兵士の間には厭戦気分が広まり、1916年夏には、労働運動が再び高揚し、中央アジアの諸民族も動員に抗議して蜂起した。
- ロシア革命 – 世界の歴史まっぷ
第一次世界大戦の勃発
東部戦線ではヒンデンブルクの率いるドイツ軍が東プロイセンのタンネンベルクの戦い Tannenberg (1914年8月下旬)でロシア軍を殲滅し、ポーランドなどロシア領内に進撃したが、国土の広さや厳しい冬の気候のため決着の見通しはたたなかった。

63.第一次世界大戦

ドイツの攻勢から塹壕戦へ
東部戦線では、ドイツ軍がロシア軍をタンネンベルクの戦いで破ったのち、ロシア領内に進撃したが、国土の広さや厳しい冬の気候のため決着の見通しはたたなかった。この状況を破るため1916年ドイツはヴェルダンで大攻勢をかけ、ついで英・仏軍はソンムで反撃に出たが、結局戦線の膠着は破れなかった。
戦争は予期しない長期戦・物量戦になった。これを支えるため、参戦各国では国力を戦争にむけて動員する総戦力体制がつくられた。連合国 は植民地や従属国の協力を得るため、さまざまな秘密条約を結び、また戦後の自治や独立の空約束を与え、その植民地から大量の食糧・原料を徴発しただけではなく、300万人をこえる兵士や労働者をヨーロッパや西アジアの戦線に送り込み、植民地の住民に大きな犠牲を強いた。
タンネンベルクの戦いデータ
年月日:1914年8月17日から9月2日 | |
場所:タンネンベルク付近(現在のポーランドオルシュティン近郊) | |
結果:ドイツの勝利 | |
交戦勢力 | |
ドイツ | ロシア |
指導者 | |
ヒンデンブルク | |
戦力 | |
軍艦200-250隻 | 軍艦190-213隻 |
参考 Wikipedia