ディウ沖の戦い (1509年)
インドのディウ港の近くのアラビア海で、ポルトガル海上帝国が、オスマン帝国、ヴェネツィア共和国の支援を受けたマムルーク朝船隊を破った戦い。ポルトガルがインド航路支配を確保し、マムルーク朝は衰退した。
ディウ沖の戦い
戦争データ
年月日:1509年2月3日 | |
場所:インドのディウ | |
結果:ポルトガルの大勝 | |
交戦勢力 | |
ポルトガル海上帝国 | グジャラート・スルターン朝 マムルーク朝 ザモリン オスマン帝国軍 支援:オスマン帝国、ヴェネツィア共和国、ラグサ共和国 |
指導者 | |
フランシスコ・デ・アルメイダ | アミール・フサイン・クルディー マリク・アヤース クンハーリ・マラッカル |
戦力 | |
キャラック船12隻 小型キャラベル船6隻 兵員ポルトガル兵1300 ヒンドゥー兵400人 |
軍艦12隻 小型船80隻 |
損害 | |
不明 | 不明 |
参考 Wikipedia
近代ヨーロッパの成立
ヨーロッパ世界の拡大
ポルトガルの植民地と貿易
1500年、第2次インド航海が13隻からなるカブラル船隊によりおこなわれた。ペドロ・アルヴァレス・カブラル(1460頃〜1526)はブラジルに漂着したあと、南大西洋を横切りインドにいたった。リスボンからは、東方貿易の利益を独占すべく、毎年インドに船隊が送りだされた。しかし、インド洋全域にわたってすでにムスリム商人が商業支配権を維持していた。彼らによる貿易活動はトルコ・エジプト・ヴェネツィアの利益とも結びついていた(マムルーク朝)。ヴェネツィアの支援をうけ、エジプトはポルトガルをこの海域から排除しようとしたが、1509年インド西海岸ディウ沖の戦い(ディーウ沖の海戦)で、フランシスコ・デ・アルメイダ(1450頃〜1510)の率いるポルトガル船隊にその艦隊は撃破された。