トゥサン=ルヴェルチュール Toussaint L’Ouverture( A.D.1743〜A.D.1803)
ハイチ独立運動の指導者。フランス領サン=ドマング(現ハイチ)の奴隷出身で「黒いジャコバン」と呼ばれる。1793年侵入したイギリス軍との戦いで、島の東部(サント・ドミンゴ)を支配するスペイン軍に参加し、優れた軍事的才能を発揮。94年フランス軍に帰順し、1801年奴隷制度廃止を宣言してナポレオン軍に捕らえられ、03年フランスで獄死した。04年彼の部下たちがハイチの独立達成。
トゥサン=ルヴェルチュール
ハイチ独立運動の指導者。「黒いジャコバン」と呼ばれる。イスパニオラ島のフランス植民地サン・ドマングのブレダ農園に生まれた奴隷であったが、御者、獣医、家令としてラテン語やフランス語、数学の知識をもち、奴隷解放と独立を夢見ていた。1793年フランスがスペインと戦争に入ると、彼は島の東部(サント・ドミンゴ)を支配するスペイン軍に参加し、優れた軍事的才能を発揮した。だが94年スペイン軍と手を切り、フランス軍に帰順して、奴隷を解放し、島の平和建設に着手しようとした。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
奴隷出身で「黒いジャコバン」と呼ばれる。フランス領サン=ドマング(現ハイチ)に侵入したイギリス軍との戦いで台頭したが、1801年に奴隷制度廃止を宣言してナポレオン軍に捕らえられ、03年フランスで獄死した。04年、ハイチの独立は彼の部下たちが達成した。
参考 山川 詳説世界史図録
欧米における近代国民国家の発展
ウィーン体制
ラテンアメリカの独立
18世紀末のいわゆる大西洋革命によって、ラテンアメリカにも人間の自由と平等の観念が普及し、ナポレオンによるスペイン=ブルボン家の打倒を機会に自律化が促進され、そして本国の圧政に対する不満もあって1810年代から本格的に独立運動が展開された。
最初に独立を達成したのはフランス領のハイチであった。フランス革命の理念に共鳴し、1791年独立運動を開始したハイチ住民は「黒いジャコバン」と呼ばれたトゥサン=ルヴェルチュール Toussaint L’Ouverture (1743〜1803)を指導者としてナポレオンの軍隊に抵抗し、1804年独立を勝ちとった。