トマス・アクィナス (1225?〜1274)
中世イタリアの神学者、哲学者。シチリア王国出身。托鉢修道会に入った後、神学教授となる。スコラ哲学を大成し『神学大全』を著す。中世キリスト教社会を精神的に支える。カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人。
トマス・アクィナス
ギリシア哲学とキリスト教思想を調和させる
トマス・アクィナスは、ナポリ大学で学んだ後、ドミニコの開いた「托鉢修道会」に入った。その後、パリ大学の神学教授として教鞭をとった。テーマは「アリストテレス哲学と教会の調和」。それは、ギリシア哲学とキリスト教思想との融合であり、科学的理性と信仰とを統一させるものであった。そして、その思想は「スコラ哲学」と呼ばれた。
『神学大全』を著し観念が優先すると主張
トマス・アクィナスがパリから帰国して著述した『神学大全』は、スコラ哲学の集大成である。このほか、多くの著作を残し、「天使博士」と呼ばれた。
神や普遍といった「観念」は、物事よりも先んじて存在するか否か、という「普遍論争」では、トマス・アクィナスは、観念が優先するという「実在論」の立場をとり、論争に一応の終止符を打った。
そして、トマス・アクィナスは「神の国」を目指した。中世キリスト教世界の中に収まる「ユーマニズム(人間中心主義)」を打ち立て、これが精神的、哲学的支柱となった。
トマス・アクィナスが著した『神学大全』は、3部(神と神学、倫理と人間、キリスト論)から成り、これらの構成は、すべて「…であるか?」という疑問の形をとる。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパの中世文化
学問と大学
中世の学問を代表するのが神学である。「哲学は神学の婢」ということわざが象徴するように、中世には古代に学問の中核を占めた哲学よりも、キリスト教の教理や信仰を研究する神学の方が上位を占めた。古代のラテン語神学は、5世紀初めの教父アウグスティヌスにより大成されたが、中世の神学はアウグスティヌスの思想を基盤に、スコラ学として発展した。スコラとは学校の意味で、フランク王国のカール大帝がアーヘンの宮廷や教会・修道院などに付属の学校を建て、アルクィン(735〜804)ら諸国の学者を集めて学問を奨励したことに始まる。スコラ学は11世紀のカンタベリ大司教アンセルムス(1033〜1109)を経て、13世紀にドミニコ派のトマス・アクィナス(1225頃〜1274)により大成された。トマスは、アリストテレス哲学を踏まえ、神学を中心にあらゆる学問の体系化を目指し、『神学大全』を著した。
中世のスコラ学において最大の課題とされたのが、神や普遍の実在をめぐる実在論と唯名論(名目論)との普遍論争であった。
アンセルムスに代表された実在論(普遍の実在を認める立場)は、「理解せんがために我れ信ず」として理性の上に信仰を置いたが、フランスのピエール・アベラールに代表される唯名論(実在するのは個物であり、普遍は名目にすぎないとする立場)は、「信ぜんがために理解す」として信仰よりも理性が先立つことを主張し、教会から異端視された。トマス・アクィナスは穏やかな実在論の立場をとり、普遍は知性の所産であるとともに実在に対応するとして、信仰と理性の統一をはかった。だが、その後、唯名論が有力となり、フランチェスコ派のヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266〜1308)やウィリアム・オブ・オッカム(オッカムのウィリアム)(1290〜1349)により、信仰と理性は調和しないとして両者の区別・分離が主張されるにおよび、スコラ学はしだいに衰退にむかった。