トリアノン条約 Trianon A.D.1920〜
第一次大戦後の連合国 とハンガリーの講和条約。オーストリアから独立した旧ハンガリー領からスロヴァキア・クロアティア・トランシルヴァニアが分離、ハンガリーは領土面積の3分の2、人口の5分の3を失った。300万人のハンガリー人が国外に置かれる結果となり、戦間期に失地回復運動がおこった。
トリアノン条約
連合国 とハンガリーの講和条約。オーストリアから独立した旧ハンガリー領からは、スロヴァキア・クロアティア・トランシルヴァニアが分離、ハンガリーは領土面積の3分の2、人口の5分の3を失った。また、300万人のハンガリー人が国外に置かれる結果となり、戦間期に失地回復運動がおこった。
二つの世界大戦
ヴェルサイユ体制下の欧米諸国
パリ講和会議 とヴェルサイユ条約
他の同盟側の敗戦国との講和条約もパリ周辺の宮殿・城館で調印され、ほぼヴェルサイユ条約に準じた内容となった。対オーストリア講和条約(サン=ジェルマン条約 St.Germain )は1919年9月に結ばれ、オーストリアは戦前とくらべて面積・人口ともに4分の1に縮小され、ドイツ人のみの小共和国となった。ブルガリアとは19年11月ヌイイ条約 Neuilly が、ハンガリーとは1920年6月トリアノン条約 Trianon がそれぞれ調印され、ハンガリーは歴史的領土と人口の過半を失った。オスマン帝国の分割を内容とするセーヴル講和条約 Sèvres は1920年8月に調印された。
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