ナイティンゲール Nightingale(
A.D.1820〜A.D.1910)
統計学者・医療改革運動家。イギリスの裕福な家庭出身。クリミア戦争の惨状を知り、トルコのスクタリの野戦病院に38人の看護師を連れて赴任。看護師の職制の確立、医療補給の集中管理、汚水処理など医療効率を一新した。帰国後の1856年にはヴィクトリア女王に直接病院改革案を献策するなど、軍の管理体制の遅れを統計資料で告発、抜群の政治センスで議会まで動かし看護の近代化を実現させた。
ナイティンゲール
イギリスの看護師、病院および医療制度の改革者。イギリスの富裕な家庭の娘として成長、ドイツのカイゼルスウェルトのプロテスタント・ディアコニッセ学院で看護師教育を受けた。 1844年以後、医療施設に強い関心をもち、ヨーロッパ、エジプト各地を見学、1853年ロンドン淑女病院看護師長になった。1854年クリミア戦争の惨状を知り、イスタンブールのスクタリの野戦病院に38人の看護師を連れて赴任。看護師の職制の確立、医療補給の集中管理、汚水処理などによって医療効率を一新して「光明婦人」 The Lady with the Lamp と呼ばれた。帰国後の1856年にはヴィクトリア(イギリス女王)に直接、病院改革案を献策、また1860年にはロンドンのセントトマス病院にナイチンゲール看護師養成所 Nightingale Home を創設して近代的な看護教育を施した。以後、90歳で生涯を終えるまで病床にあったが、病院管理や陸軍衛生管理について、イギリス陸軍をはじめ、国内の各組織から意見を求められ、常によき指導者であった。国内のみならず、外国政府も彼女に教示を求めるものが多かった。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
戦場の女神
ナイティンゲールとデュナン
クリミア戦争で負傷したイギリス兵を収容したスクタリの野戦病院。ナイティンゲールは不衛生な環境を改善することに尽力した。
ナイティンゲールは看護師の仕事はしなかった。彼女は医療改革運動家で、危機管理担当官で、統計学者だったからである。英国貴族の次女に生まれ、贅沢な教育を受け、30歳すぎから病院運営のボランティアを始めた。クリミア戦争従軍は、老嬢といわれる34歳のときのこと。物資不足を自費の補給線で解消するという貴族の辣腕で乗り切り、軍の管理体制の遅れを統計資料で告発、抜群の政治センスで議会まで動かし看護の近代化を実現させた。
自身も戦場の参加を体験したスイスの銀行家アンリ=デュナン(1828〜1910)は、彼女の活躍に感銘を受け、1863年に赤十字社設立を提唱。のちに第1回ノーベル平和賞を受賞する。