ネフェルティティ Nefertiti 紀元前14世紀中葉
エジプト新王国 第18王朝のファラオ・アメンホテプ4世の正妃。ツタンカーメンの義母。
アメンホテプ4世と共に宗教改革(アマルナ革命)を推し進めたが、国民になじまなかったためアメンホテプ4世の死後、首都をテーベに戻し、アモン信仰が復活した。
ネフェルティティ
アメンホテプ4世の妃。美しく彩色された彫像で知られる。
首都: アケトアトン
アマルナ革命
伝統的なアメン神を中心にした神殿権力による多神崇拝を否定し、太陽神アトンの一神崇拝を理念に掲げた(世界最初の一神教といわれる)。神殿勢力の本拠であるテーベと古都メンフィスを棄て、新たな地に新都アケトアトンを築き、遷都した。イクナートンは、アトンを讃美する平和と恵みの歌をみずから記し、エジプトの主要な土地で、「アトン讃歌」と呼ばれる讃美の詩を岩に刻ませた。これをアマルナ革命と言う。
アメンホテブ4世
在位4年(紀元前1346年)、アメンホテプ4世(後のイクナートン)は、歴史に著名なアトン信仰を宣言する。この年はアマルナ(テル=エル=アマルナ)として知られる新都アケトアトンの建設が開始された年だと信じられている。
在位5年(紀元前1345年)、アメンホテプ4世は彼の新たな信仰の証として、みずからの名を公式にアク・エン・アトン(「アトンに愛される者」、イクナートン)に変更した。
在位7年(紀元前1343年)、王国の首都はテーベより、アケトアトンへと遷都された。新都の建設は進行中であり、更に二年を要して紀元前1341年頃に都市としての体裁を整えたと考えられる。新都は王と王妃、二人の新しい信仰に献げられた。また遷都の前後、ネフェルティティの胸像は作成されていたと考えられている。