ハンザ同盟
13世紀から17世紀まで存続した北ドイツの都市同盟。北海・バルト海貿易で活動する商人たちの間に自然発生的にできた仲間団体(ハンザとは「商人の仲間」の意味)が原型で、加盟市に対する規制力も弱かった。独立した中世都市が、人口・規模に勝る皇帝や諸侯の軍事的圧力に対抗し共同の利益確保のため形成した。最盛期は14世紀で、リューベックを盟主にハンブルク・ブレーメン・リューネブルク・ケルン・ダンツィヒなど加盟市は100を超えた。
ハンザ同盟
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
都市の自治権獲得
これらの都市は、自立はしたものの、人口・規模などの点で皇帝や諸侯に劣る場合が多く、その軍事的圧力に対抗し、あるいは共同の利益の確保のために、都市同盟を結成した。
北イタリアのロンバルディア諸都市では、ドイツ皇帝のイタリア南下政策に対抗し、12世紀から13世紀にかけて、2度にわたりロンバルディア同盟を結んだ。だが、その規模と期間の長さにおいて、ロンバルディア同盟をはるかにしのぐのが、13世紀から17世紀まで存続した北ドイツのハンザ同盟である。
最盛期は14世紀で、リューベックを盟主にハンブルク・ブレーメン・リューネブルク・ケルン・ダンツィヒなど加盟市は100を超え、北欧からロシア・イギリス・ネーデルラントなど、地中海沿岸をのぞく全ヨーロッパで商業活動を展開した。ノヴゴロド・ベルゲン・ブリューシュ・ロンドンなどの貿易拠点には在外商館をもうけ、商圏確保のためには時には戦争をすることもあった(1370年 デンマーク海軍撃破)。しかし、15〜16世紀以降の集権国家の成長と、イギリス・オランダ商人の登場により打撃を受け、最終的には17世紀の三十年戦争により消滅した。
北ヨーロッパ
デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの北欧3国は、ヴァイキング時代を通じてキリスト教(カトリック)化し、部族統合も進んで国家としての形態を整えていった。11世紀の初めから14世紀の初めにかけて、国内では王・貴族・聖職者の争いが絶えず、外部からは神聖ローマ帝国の皇帝や諸侯、さらにはハンザ同盟の諸都市の圧迫を受け、動揺した。また、アジア系フィン人の国フィンランドは、13世紀以来スウェーデンに統合されカトリック化が進んだが、東方からギリシア正教を報ずるノヴゴロド国に攻撃され、14世紀前半カレリア地方の東半分を割譲した。
都市と商業の発展
都市は当初封建的領主の保護を受けていたが、商工業の発展とともに自立への道を歩み始めた。ヴェネツィア・ジェノヴァ・フィレンツェなどの北イタリアの諸都市は、貴族も都市に移って同化する自治都市となり、周辺の農村をも支配する一種の都市共和国を形成した。ドイツでは、皇帝から特許状を得て自治権を獲得し、皇帝直属の自由都市(帝国都市)となって諸侯と対抗した。この結果、市民は農民と異なって、封建的束縛のない自由な身分を獲得した。また封建領主に対して自己の特権や自由を守るために、北ドイツ諸都市を中心としたハンザ同盟などのような強力な同盟組織を作ることもあった。
世界遺産「ハンザ都市リューベック」
中世ヨーロッパ最大の商業同盟であるハンザ同盟の盟主リューベックは、海港をもち、17世紀に同盟が解散するまで繁栄しつづけた。かつては「ハンザの女王」と呼ばれた。城門であるホルステン門をくぐると旧市街が広がり、ドイツ最古のゴシック建築のひとつである市庁舎やマルクト広場、聖マリア聖堂などの5つの聖堂、船員組合会館など13世紀末から17世紀の建築物が並ぶ。
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