パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ( A.D.1397〜A.D.1482)(トスカネリ)
天文学者・医師。地元フィレンツェの大聖堂に巨大な日時計を設置し、海図を作成。地球球体説を唱え、コロンブスの野心に火をつけた。1456年のハレー彗星を含むいくつもの彗星を観測し軌道を念入りに計算した。
パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ
「地球球体説」を唱える
トスカネリ
天文学者・医師。地元フィレンツェの大聖堂に巨大な日時計を設置し、海図を作成。地球球体説を唱え、コロンブスの野心に火をつけた。
参考
生涯
彼の友人には、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂を作った建築家フィリッポ・ブルネレスキ、哲学者のマルシリオ・フィチーノらがいた。「万能人」レオン・バッティスタ・アルベルティとも面識があった。優れた知識人であり人文主義者の走りでもあったニコラウス・クザーヌスとは親友であった。クザーヌスは1455年に数学に関する短い論文2本をトスカネリに捧げており、1458年の対談”De quadratura circuli”(円積問題について)では対談者にトスカネリを選んでいる。
トスカネリとクザーヌスは、フィレンツェとローマの知識人のネットワークに加わっていたようである。彼ら(フランチェスコ・フィレルノ、トラブゾンのジョルジオ、人文主義者ニコラウス5世、アルベルティ、ブルネレスキ)はギリシアの数学を研究していた。
1439年、バーゼル公会議のためイタリアを訪問していたギリシア人哲学者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンから、古代ギリシアの地理学者ストラボンのことを知る。その時までイタリアではストラボンの広範な旅行、著作、地図については全く知られていなかった。
1474年にポルトガルの友人フェルナン・マルティンス(リスボン大聖堂の司教)へ送った手紙と地図では、西回りで香料諸島やアジアに行く計画が詳細に述べられていた。マルティンスは国王アフォンソ5世の元にその手紙を持っていった。現物は失われたが、後に筆写版を入手したクリストファー・コロンブスは、航海にこれを携えていったという。トスカネリが地球の直径を小さく見積もる誤りを犯したことは、コロンブスがアメリカ大陸をアジアと誤解する原因となった。
参考 Wikipedia