ヒッタイトの首都ハットゥシャ
トルコののボアズカレ(旧・ボアズキョイ)近郊にある遺跡。前17世紀〜前13世紀に繁栄したヒッタイトの首都。ヤズルカヤ神殿、スフィンクスの門、楔形文字の粘土板などが残り、1986年世界遺産に登録された。
ヒッタイトの首都ハットゥシャ
史上初めて鉄の文明を手にしたヒッタイト王国の首都
トルコ中央部、ボアズカレ地方の東西約1.3km、南北約2.1kmの範囲に広がるハットゥシャの遺跡は、アナトリア(小アジア)に君臨したヒッタイト王国の首都遺跡である。ヒッタイト王国は、紀元前17〜13世紀と非常に長期間にわたって繁栄した。
この地を拠点とした騎馬民族のヒッタイトは、優れた製鉄技術をもっており、その技術を独占した。彼らは鉄製の武器や機動力の高い軽戦車を駆使して周辺諸国を次々と滅ぼし、最盛期にはメソポタミアにまで領土を拡大した。
エジプトやバビロニアとともに古代オリエントの3大強国に数えられたが、紀元前12世紀頃に地中海から侵入してきた「海の民」と呼ばれる民族によってハットゥシャを破壊され、滅亡したと考えられている。滅亡した原因についてはほかにも諸説あり、はっきりとはわかっていない。
二重の城壁に囲まれたハットゥシャの廃墟には、岩にレリーフが刻まれたヤズルカヤ神殿をはじめ、スフィンクス門などの多くの門、場外に通じる地下道、貯蔵庫、王宮などの遺跡が残る。
また、ビュユックカレと呼ばれる大城塞からは、楔形文字が記された2万枚以上もの粘土板が20世紀初頭に出土している。ヒッタイトとエジプトが「カデシュの戦い」後に結んだ和平文書らしきものも含まれており、謎多きヒッタイト王国の実情を知るうえで貴重な手がかりとなっている。
小アジア一帯を支配したヒッタイト王国が、紀元前16世紀に今のポアズカレに創建した首都。アンカラの東約150km、標高約1000mのアナトリア高原にある城塞都市。今世紀初頭からの発掘で王宮、神殿、城塞、約2万枚の粘土板文書などが確認されている。ヒッタイトは史上初めて鉄器を利用した民族ですが、その実体の多くはまだ分かっていない。
Hattusha: the Hittite Capital – UNESCO World Heritage Centre