ヒッティーンの戦い 1187年7月4日
交戦: アイユーブ朝(サラディン) 対 イェルサレム王国(ギー・ド・リュジニャン)・テンプル騎士団・聖ヨハネ騎士団
場所: ヒッティーン
結果: サラディン率いるアイユーブ朝の勝利。聖地イェルサレムを奪回、イェルサレム王国を滅亡寸前まで追い込む。十字軍国家はほとんどが崩壊し、第3回十字軍の動機となる。
ヒッティーンの戦い
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の発展
バグダードからカイロへ
シリアのザンギー朝(1127〜1222)からエジプトに派遣されたクルド人の将軍サラディン(サラーフッディーン)は、ファーティマ朝の宰相となって実権を握り、アイユーブ朝(1169〜1250)を開いた。
サラディンはアッバース朝カリフの宗主権を承認し、スンナ派の信仰を復活してイスラーム世界の統一をはかった。また、エジプトにイクター制を導入して軍政を整えたサラディンは、対十字軍戦争を積極的に推し進め、1187年にはティベリアス湖西方のヒッティーンの戦いで十字軍を破り、約90年ぶりに聖地イェルサレムを奪回した。
これに対しイギリスのリチャード1世(イングランド王)(1189〜1199)は、聖地の再征服をめざして第3回十字軍をおこしたが成功せず、サラディンと和して帰国した。