ピーテル・パウル・ルーベンス( A.D.1577〜A.D.1640)
騎士にも叙せられたバロック美術の巨匠。フランドルの画家。イタリアでの修行後、スペイン領ネーデルラント総督夫妻の宮廷画家となる。歴史、宗教、風景、人物を素材に、豊かな色彩で雄大な世界を表現。
ピーテル・パウル・ルーベンス
豪壮で華麗なバロック様式の大家
フランドル地方(現ベルギー)の法律家の子として生まれたルーベンスは、父の死後に絵の修行を始め、23歳でイタリアへ渡った。その後地元に戻り、スペイン領フランドル総督の宮廷画家となった。
当時の美術の流行は、豪壮、華麗な作風で、バロック様式と呼ばれていた。ルーベンスも、歴史、宗教、風景、人物を素材に、豊かな色彩で雄大な世界を表現した。名声を得たルーベンスは、外交使節としてもイギリス、スペインに派遣された。フランスのマリー・ド・メディシスに依頼され、リュクサンブール宮殿の装飾壁画も描いた。
イギリスのウィーダ作『フランダースの犬』で、主人公ネロが死ぬ間際に見たのは、アントウェルペン大聖堂のルーベンス作『キリスト昇架』『キリスト降架』『キリスト復活』である。
ルーベンスが46歳頃に描いた自画像。バロック美術の大家としてフランドル派に属したルーベンスは、アンソニー・ヴァン・ダイクら、有名な弟子も育てた。
騎士にも叙せられたバロック美術の巨匠
フランドルの画家。イタリアでの修行後、スペイン領ネーデルラント総督夫妻の宮廷画家となる。富裕な市民たちの注文で多くの祭壇画、神話画、寓意画を制作。1621年以降、大規模な注文が続き、フランスやイギリスなど活動の舞台も国際的になった。
ギャラリー
イタリアのトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの娘マリー・ド・メディシスがアンリ4世(フランス王)に嫁ぐため、マルセイユ港に上陸した史実を、神話のように壮大な演出で描いた。左上にメディチ家の紋章、左下には警護する海の神ネプチューンとトリトン、王妃の足下には到着を喜ぶ3人の海の精ネレイス。