フェリペ3世(ナバラ王)( A.D.1306〜A.D.1343)
ナバラ王国の共同統治王(在位1328年 - 1343年(フアナ2世と共治))。フランス貴族のエヴルー伯でもあったため、フィリップ・デヴルーとも呼ばれる。フィリップ3世(フランス王)の子ルイ・エヴルーの子。
フェリペ3世(ナバラ王)
生涯
- フィリップ3世(フランス王)の息子エヴルー伯ルイ(ルイ・デヴルー)とその妃マルグリットの息子。このためカペー家の傍流としてフランス王位継承権を持っていた。
- 1319年、父ルイの死去により、ノルマンディー地方にあるエヴルー伯領を相続した。
- 従兄であるルイ10世(フランス王)の王女ジャンヌと結婚し、ジャンヌがフアナ2世(ナバラ女王)として即位すると、ナバラ王国の共同統治王となった。彼女はナバラ王国のみならずフランス北部に広い領地があり、夫妻はその血統と相まってフランスに対しても影響力を持っていた。
- 1334年に王夫妻はフランスに戻り、ナバラは総督により統治された。
- 1343年、フェリペ3世はレコンキスタに参加している最中に負傷し、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(アンダルシア州)で死去した。
子女
フアナ2世(ナバラ女王)との間に8人の子供をもうけた。
- マリー(マリア・デ・ナバラ)(1329年頃 – 1347年) – ペドロ4世(アラゴン王)の最初の王妃
- ブランシュ・デヴルー(1331年 – 1398年) – フィリップ6世(フランス王)の2番目の王妃
- シャルル(カルロス2世(ナバラ王))(1332年 – 1387年) – ナバラ王およびエヴルー伯
- アニェス(1334年 – 1396年) – フォワ伯ガストン3世と結婚
- フィリップ・ド・ナヴァール(1336年 – 1363年) – ロングヴィル伯
- ジャンヌ(1338年 – 1387年) – 修道女
- ジャンヌ(1339年 – 1403年) – ロアン子爵ジャン1世の妻
- ルイ・ド・ナヴァール(1341年 – 1372年) – ボーモン=ル=ロジェ伯、ドゥラッツォ公
参考 Wikipedia