ブルガリア帝国(
A.D.681〜A.D.1396)
現在のブルガリアを中心にバルカン半島の東部を支配したブルガリア人の帝国。
- 第一次ブルガリア帝国(681年〜1014年)先住の南スラヴ人を破って建国。
- 1018年 ビザンツ帝国に征服される。
- 第二次ブルガリア帝国(1187年〜1396年)独立回復。13世紀前半に絶頂期を現出したが、モンゴル人の侵入を受けて衰弱し、14世紀末にオスマン帝国により征服された。
ブルガリア帝国
ヨーロッパ世界の形成と発展
東ヨーロッパ世界の成立
南スラヴ人の動向
7世紀末にバルカン東南部に入り、先住の南スラヴ人を破って建国したのがアジア系のブルガール人である。このスラヴ・ブルガール国家(第一次ブルガリア帝国)(681年〜1018)は次第に発展し、9世紀後半にはビザンツ帝国を脅かすまでに成長したが、その過程で支配層のブルガール人は数の優勢なスラヴ人に同化していき、新たにスラヴ系のブルガリア人を形成することになった。
また、864年ボリス1世によりギリシア正教が国教とされたが、ビザンツ帝国への従属を避けるためにギリシア語に変えてスラヴ語典礼やスラヴ文字(キリル文字)の普及がはかられた。そして、シメオン1世(893〜927)の時にブルガリア教会は大主教の地位を得て独立し、帝国も領土を拡大して全盛期を迎えた。だが、彼の死後帝国は内紛により衰退にむかい、1018年ビザンツ帝国に征服された。
その後12世紀末に独立を回復し、タルノボを都に第二次ブルガリア帝国(1186〜1396)を建設、カロヤン・アセン(位:1197〜1207)からイヴァン・アセン2世(位:1218〜1241)にかけての13世紀前半に絶頂期を現出した。だが、まもなくモンゴル人の侵入を受けて衰弱し、14世紀末にオスマン帝国により征服された。