ヘンリー3世(イングランド王)(
A.D.1207〜A.D.1272)
プランタジネット朝第4代イングランド王(在位1216〜1272)。ノルマンディー公(在位1216〜1259)。フランス貴族を重用するとともに、大陸政策に熱中して国内貴族の不満をかった。また、たびたびマグナ・カルタを無視して専制をおこなったため、シモン・ド・モンフォールら貴族の反乱を招き、1265年には従来の聖職者・貴族の集会に州騎士および都市市民の代表を加えた議会を招集することになった。これはイギリス議会の起源とされる。
ヘンリー3世(イングランド王)
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
イギリスの封建社会と身分制議会
大陸領の喪失以来、貴族の間にはイギリス人としての国民感情が芽生えつつあったが、ジョン欠地王の次のヘンリー3世(イングランド王)はフランス貴族を重用するとともに、大陸政策に熱中して国内貴族の不満をかった。また、たびたびマグナ・カルタ(大憲章)を無視して専制をおこなったため、シモン・ド・モンフォールら貴族の反乱を招き、1265年には従来の聖職者・貴族の集会に州騎士および都市市民の代表を加えた議会を招集することになった。これはイギリス議会の起源とされる。
参考 詳説世界史研究
ウェストミンスター寺院を現在の姿に大改築した。
子女
- エドワード1世(イングランド王)(1239年 – 1307年) – イングランド王
- マーガレット・オブ・イングランド(1240年 – 1275年) – スコットランド王アレグザンダー3世と結婚
- ベアトリス・ダングルテール(1242年 – 1275年) – ブルターニュ公ジャン2世と結婚
- エドマンド(初代ランカスター伯)(1245年 – 1296年) – 初代ランカスター伯
- リチャード(1247年頃 – 1256年以前)
- ジョン(1250年頃 – 1256年以前)
- ウィリアム(1250/1年 – 1256年以前)
- キャサリン(1252/3年 – 1257年)
- ヘンリー – 早世