ホスロー1世 Khusro (不明〜579年)
ササン朝ペルシア帝国第21代君主、ササン朝最盛期の王(在任 531 〜 579 )。対外的には東ローマのユスティニアヌス大帝との戦いを有利に展開し、突厥と同盟してエフタルを滅ぼした。内政面では、マズダク教を弾圧し、一方で閉鎖されたアテネのアカデメイアから逃れてきた学者を保護し、学問を奨励した。また経典『アヴェスター』を整理し、文字化したとされる。
ホスロー1世
ササン朝最盛期の王。対外的には東ローマのユスティニアヌス大帝との戦いを有利に展開し、突厥と同盟してエフタルを滅ぼした。内政面では、マズダク教を弾圧し、一方で閉鎖されたアテネのアカデメイアから逃れてきた学者を保護し、学問を奨励した。また経典『アヴェスター』を整理し、文字化したとされる。
「不滅の魂をもつ者」と呼ばれた名君主
ペルシア王ホスロー1世は、ユスティニアヌスと長年にわたって攻防をくり広げた。西方の領土再征服を目指すユスティニアヌスは、532年ホスローと「永久平和条約」を結ぶ。ところが8年後、ホスローはこの条約を破棄、戦いを挑んだ。562年には再び50年に及ぶ和平条約が結ばれるが、ローマは多大な賠償を強いられる。勢いに乗ったペルシアは、シリア、東はバクトリアまで版図を拡大した。一方でホスローは ギリシア哲学を手厚く保護し、東ローマから多数のギリシア人学者が流入した。その結果、東西を融合させた独自のペルシア文化が花開いた。
栄華を極めた賢王
イラン・ササン朝21代の王。財政強化、運河・道路の整備、文化の移入に努めた。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
ササン朝
5世紀から6世紀にかけて、中央アジアの遊牧民エフタル族の侵入と、原始共産主義的思想を説くマズダク教の流行で、国家と社会は混乱した。
ホスロー1世の死後、一時分裂状態に陥ったササン朝であったが、ホスロー2世という征服者の出現によって、その領域は最大になった。
内陸アジア世界の変遷
遊牧民とオアシス民の活動
内陸アジアの新動向
突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった)や「草原の道」の交易の利によって力を蓄え、木汗可汗のとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海にいたる大帝国を樹立した。
- 内陸アジアの新動向 – 世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展
東ヨーロッパ世界の成立
初期ビザンツ帝国
東方では540年以降ササン朝のホスロー1世と戦って地中海の制海権を確保するなど、一時地中海帝国の再現に成功した。
- 東方では540年以降ササン朝のホスロー1世と戦って地中海の制海権を確保するなど、一時地中海帝国の再現に成功した。