東南アジア諸島部のイスラーム化 マジャパヒト王国 東南アジアのイスラーム化と14世紀の諸国地図
東南アジアのイスラーム化と14世紀の諸国地図 ©世界の歴史まっぷ

マジャパヒト王国


マジャパヒト王国 (13世紀末)
シンガサリ王国が内紛で倒れたあと、同世紀末に元(王朝)軍を撃退して創始された。ジャワ島東部のマジャパヒトに都をおき、14世紀後半のハヤム・ウルク王の時代に名宰相ガジャ・マダの補佐をえて最盛期を迎え、マレー半島南部を含む今日のインドネシアのほぼ全域を支配したが、王の死後しだいに衰えた。ジャワ島における有力なヒンドゥー王朝としては最後のものであリ、16世紀に新興のイスラーム勢力に滅ぼされた。

マジャパヒト王国

アジア・アメリカの古代文明

東南アジアの諸文明

諸島部の国々

シンガサリ王国が内紛で倒れたあと、同世紀末に元(王朝)軍を撃退したクルタラジャサ・ジャヤワルダナ(Kertarajasa Jayawardhana, 即位前はウィジャヤ Vijaya)(位:1294〜1309)によってマジャパヒト王国が創始された。ジャワ島東部のマジャパヒトに都をおくこの王朝は、14世紀後半のハヤム・ウルク王(位:1350〜1389)の時代に名宰相ガジャ・マダ(Gajah Mada)の補佐をえて最盛期を迎え、マレー半島南部を含む今日のインドネシアのほぼ全域を支配したが、王の死後次第に衰えた。
この王朝はジャワ島における有力なヒンドゥー王朝としては最後のものであリ、16世紀に新興のイスラーム勢力に滅ぼされた。

参考:諸島部の国々 – 世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の形成と発展

インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化

東南アジアのイスラーム化と14世紀の諸国地図
東南アジアのイスラーム化と14世紀の諸国地図 ©世界の歴史まっぷ
15世紀初め、海上交通の要衝マラッカにマレー人のイスラーム王国がおこり、スマトラ島の一部も領土に加えて、中継貿易で栄えた。このマラッカ王国の発展とともにイスラーム教はマレー半島からジャワ島など周辺の島々へと広まった。しかし王国は1511年にポルトガルの艦隊に攻められ滅んだ(ポルトガル領マラッカ)。
ジャワ島では15世紀末にヒンドゥー王国マジャパヒト王国が衰退したあと急速にイスラーム教が広まり、16世紀の間にほぼ全島のイスラーム化が完成している。また同じ15〜16世紀ころ、ボルネオ・セレベスおよびフィリピン南部のスルー諸島やミンダナオ島などにもイスラーム教が伝わり、スルタンの支配する国家もたてられている。
インドネシアでは今日バリ島のみにヒンドゥー教が信仰されている。この島のヒンドゥー教は土着信仰との融合が著しい。

この地に成立したイスラーム王国としては、ジャワ島南部のマタラム王国(16世紀末〜1755)、ジャワ島西部のバンテン王国(1526ころ〜1813)、スマトラ島北端のアチェ王国(15世紀末〜1912)などが有力で、ヨーロッパ、アジア諸国の商船を迎え、コショウなどの香辛料貿易で栄えた。しかし、これらの王国は、17世紀以後この地に進出してきたオランダにしだいに力を奪われることになる。

東南アジア諸島部のイスラーム化 – 世界の歴史まっぷ

諸地域世界の交流

海の道

東西を結ぶムスリム商人
東西を結ぶムスリム商人 海の道の発展(10〜17世紀) 地図 海の道の発展地図(10〜17世紀)
海の道の発展地図(10〜17世紀)©世界の歴史まっぷ

マラッカ海峡はインド洋と南シナ海の接点として重要な役割を果たすようになった。特に、マレー半島の南海岸で海峡の中央部に位置する港町マラッカ(ムラカ)が中継貿易で繁栄した。ジャワ東部のマジャパヒト王国からの圧力を抑え、15世紀前半には鄭和の艦隊の保護を受けつつタイのアユタヤ朝の支配を脱し、その後はインド洋方面の交易を進めると同時にイスラーム教を受け入れ、本格的なイスラーム王国に成長した。東南アジアのイスラーム化はマラッカ王国を布教の中心として進められ、交易ルートに乗って島嶼部全域に拡大した。

現在のマレーシア・インドネシア・ブルネイを中心にフィリピン南部までイスラーム教が拡大した。インドネシアは現在、世界最大のムスリム人口を有する国である。その中でインドネシアのバリ島はジャワ・ヒンドゥー文化が存続した。

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東南アジアの諸文明流れ図

東南アジア世界の変動 10.東南アジアの諸文明
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