マフムード(ガズナ朝)(
A.D.971〜A.D.1030)
ガズナ朝第7代君主(在位997年 - 1030年)。ガズナ朝の最盛期を現出した。インド侵入をくりかえし、分裂抗争していたラージプート諸王国を撃破。はじめ略奪を目的としたものであり、財宝や奴隷を手に入れるとアフガン台地に引き揚げていたが、やがてインド内部にとどまり、土地と人民を永続的に支配するようになった。「イスラームの擁護者」の名声を獲得した。
マフムード(ガズナ朝)
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の発展
東方イスラーム世界
アフガニスタンにおこったガズナ朝(962〜1186)は、11世紀初めころから北インドへの侵入を開始し、ガズナ朝第3代君主マフムード(ガズナ朝)(998〜1030)は、インド中西部のソムナートまで遠征して、「イスラームの擁護者」の名声を獲得した。
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
デリーのムスリム政権
8世紀初め、ムハンマド・ビン・カーシム率いるウマイヤ朝のアラブ軍が、海陸の両路からインダス川下流域に侵入したが、ムスリムはその後3世紀間インド内部に進出することはなかった。
彼らがインド史上に大きな影響を及ぼすようになったのは、アフガニスタンにトルコ系のガズナ朝とイラン系を称するゴール朝が相ついでおこってからである。
これら両王朝は10世紀末からインド侵入をくりかえし、分裂抗争していたラージプート諸王国を撃破した。ガズナ朝のマフムード、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドの遠征はとくに名高い。彼らの侵入ははじめ略奪を目的としたものであり、財宝や奴隷を手に入れるとアフガン台地に引き揚げていたが、やがてインド内部にとどまり、土地と人民を永続的に支配するようになった。
彼らがインド史上に大きな影響を及ぼすようになったのは、アフガニスタンにトルコ系のガズナ朝とイラン系を称するゴール朝が相ついでおこってからである。
これら両王朝は10世紀末からインド侵入をくりかえし、分裂抗争していたラージプート諸王国を撃破した。ガズナ朝のマフムード、ゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドの遠征はとくに名高い。彼らの侵入ははじめ略奪を目的としたものであり、財宝や奴隷を手に入れるとアフガン台地に引き揚げていたが、やがてインド内部にとどまり、土地と人民を永続的に支配するようになった。