クレタ文明(ミノア文明) Kreta
前2000〜前1400年頃、クレタ島を中心に栄えた文明。神話の王にちなんでミノア文明とも呼ばれる。民族系統は不明。ギリシア最大の島クレタ島は、地中海交易の要地として繁栄し早くから文明が成立した。オリエント文明の影響をうけているが、写実的な壁画や壺絵から平和的生活がうかがえる。天災やアカイア人の侵入で衰退・滅亡した。
ミノア文明
前2000〜前1400年頃、クレタ島を中心に栄えた文明。神話の王にちなんでミノア文明とも呼ばれる。民族系統は不明。ギリシア最大の島クレタ島は、地中海交易の要地として繁栄し早くから文明が成立した。オリエント文明の影響をうけているが、写実的な壁画や壺絵から平和的生活がうかがえる。天災やアカイア人の侵入で衰退・滅亡した。
ミノア文明 : エーゲ文明のひとつ。青銅器文明。
地中海交易によって発展し、クノッソッス、ファイストス(フェストス)などに島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられた。
貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出した。
紀元前18世紀ごろ、線文字Aを使用する。
クノッソス宮殿再現3Dアニメーション
Knossos Palace Reconstruction Crete 3D – YouTube
ミノア文明の地図
クレタ島がミノア文明の頃、ペロポネソス半島ではミケーネ文明の前のヘラディック文化、キクラデス諸島ではキクラデス文明、小アジアの北西部ではトロイア文明が栄えていた。
文化
エヴァンスはホメロスの詩に現れる伝説的なクレタの王・ミノスの名をとって、これをミノア文明と呼んだ。彼らは絵文字と線文字Aを考案したが、それらは今なお解明されていない。
したがってクレタ王国の社会についてはよくわかっていない。クレタ島にはクノッソス・マリア・ファイストスなどの小王国があり、なかでクノッソスが有力で、紀元前2000年頃にはクレタ島を統一したらしい。その王宮は巨大で、動物、とくにイルカなどの海洋動物や人間たちをいきいきと描いた壁画にはオリエントにない開放性がみられ、王宮が城壁を持たなかったのも、この文明の平和的な性格を示している。しかしクレタ人は強力な艦隊をつくってエーゲ海の航行権を握り、エジプトや南イタリアなどとの交易もさかんにおこなっていた。クレタ島の北のテラ島(現在のサントリーニ島)にも同様の文明が栄えていた。