ムラービト朝 A.D.1056〜A.D.1147
西サハラのベルベル人修道士(ムラービト)がイスラーム宗教運動をおこし、北アフリカに建国。ジハード(聖戦)を唱えて南下し、1076年ガーナ王国を滅ぼしスーダンのイスラーム化を積極的に推し進めた。首都マラケシュを建設しイベリア半島にも進出。先進的なイスラームの建築技術や学問を北アフリカにもたらした。アッバース朝カリフの権威を承認し、スンナ派信仰によって国内の統一をはかったが、1147年ムワッヒド朝に滅ぼされた。
ムラービト朝
首都:アグマ、マラケシュ、コルドバ
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の発展
西方イスラーム世界
彼らはジハード(聖戦)を唱えて南下し、1076年ガーナ王国を滅ぼすと、スーダンのイスラーム化を積極的に推し進めた。首都マラケシュを建設したムラービト朝は、イベリア半島にも進出し、そこから先進的なイスラームの建築技術や学問を北アフリカにもたらした。
王朝はアッバース朝カリフの権威を承認し、スンナ派信仰によって国内の統一をはかったが、建国当初の宗教的情熱が冷めるに連れて国力は衰退した。
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
アフリカのイスラーム化
西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝の攻撃を受けて衰退した。ムラービト朝の侵入以後、西アフリカではイスラーム化が進行し、つづいておこったマリ王国(1240〜1473)はイスラーム教を受容した。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
スペインとポルトガル
そのころ、後ウマイヤ朝は滅亡し(1031)、イスラームのイベリア支配は20余りの小王国の時代を迎えたが、レコンキスタとの関わりで重要な位置を占めたのは、サラゴサ・セビリャ・グラナダの3王国である。アラゴン王国の歴代の王はサラゴサを攻め、教皇の呼びかけによる連合軍も結成された(1064)が失敗に終わり、その占領は12世紀初頭にまでもちこされた。
他方、アルフォンソ6世(カスティーリャ王)(位1072〜1109)はトレドを占領(1085)、ついでセビリャを攻めたが、アフリカからベルベル人のムラービト朝軍が来援、失敗した。13世紀初頭、カスティリャ・アラゴン・ナバラの連合軍はムラービト朝にとって代わったムワッヒド朝軍に決定的勝利をおさめ、コルドバ・セビリャを相次いで回復した。その結果13世紀半ばには、イスラーム勢力はグラナダ1国を残すのみとなった。
歴代君主
- イブン・ヤースィン(1040年 – 1056年)
- ヤフヤー・イブン・イブラーヒーム(1056年)
- ヤフヤー・イブン・ウマル(1056年)
- ① アブー・バクル・イブン・ウマル(1056年 – 1087年)
- ② ユースフ・イブン・ターシュフィーン(1061年 – 1106年)
- ③ アリー・イブン・ユースフ(1106年 – 1142年)
- ④ ターシュフィーン・イブン・アリー(1142年 – 1146年)
- ⑤ イブラーヒーム(1146年)
- ⑥ イスハーク(1146年 – 1147年)
(*ただし、初代をアブー・バクルとする説も有力である)