メディチ家
13世紀に薬種業から勃興し、14世紀をつうじてフィレンツェの富裕商人の仲間入りを果たした。チオンピー一揆の際、アルビッツィ派に敗れるが、ジョヴァンニは銀行業で得た資産をもとにこれに対抗し、次のコジモの代にはフィレンツェの支配圏を握った(1434)。その子ピエロを経て、孫のロレンツォの代(1448〜1492)にメディチ家の絶頂期を現出したが、次のピエロ2世の代に市民の反乱が起こり、フィレンツェの支配権を失った(1494)。
メディチ家
特記すべきメディチ家の人物
- ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(Giovanni di Bicci de’ Medici、1360年 – 1429年)、メディチ銀行総裁、政治家。メディチ家における政治家一家の祖。
- コジモ・デ・メディチ(イル・ヴェッキオ)(Cosimo de’ Medici detto il Vecchio、1389年 – 1464年)、フィレンツェにおけるメディチ支配を確立した(1434年 – 1464年)。
- ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)(Lorenzo de’ Medici detto il Magnifico、1449年 – 1492年)、フィレンツェ・ルネサンスの黄金時代を築いた(1469年 – 1492年)。
- レオ10世(ローマ教皇)、ジョヴァンニ・デ・メディチ(Giovanni de’ Medici、1475年 – 1521年、在位:1513年 – 1521年)。教皇庁で多大な浪費を行い、宗教改革の原因ともなった。
- クレメンス7世(ローマ教皇)、ジュリオ・デ・メディチ(Giulio de’ Medici、1478年 – 1534年、在位:1523年 – 1534年)。ローマ略奪を招き、ハプスブルク家に屈服するも、フィレンツェ公国を建国する(1532年、後のトスカーナ大公国)。
- 黒隊長ジョヴァンニ(Giovanni delle Bande Nere、1498年 – 1526年)。庶流の出であったが、傭兵軍団を率いて「黒隊長」として恐れられる。28歳の若さで戦死。コジモ1世の父。
- コジモ1世(Cosimo I de’ Medici、1519年 – 1574年)、1537年、第2代フィレンツェ公、1569年、初代トスカーナ大公になる。ジョルジョ・ヴァザーリ、ブロンズィーノらを宮廷画家として迎える。また、ミケランジェロの葬儀(1564年)を行った。
- カトリーヌ・ド・メディシス(Caterina de’ Medici、1519年 – 1589年)、母はフランス人。ヴァロワ朝のアンリ2世(フランス王)妃。3人の子(フランソワ2世(フランス王)、シャルル9世(フランス王)、アンリ3世(フランス王))を次々と王とし、摂政、母后として30年にわたりフランスを影から操った。
- マリー・ド・メディシス(Maria de’ Medici、1575年 – 1642年)、ブルボン朝のアンリ4世(フランス王)妃。ルイ13世(フランス王)の母。
- フェルディナンド1世・デ・メディチ(Ferdinando I de’ Medici、1549年 – 1609年)、第3代トスカーナ大公(1588年 – 1609年)。積極的なパトロネージを展開し、自らを含めた3つの結婚祝典を通して、トスカーナ大公国の最後の絶頂期を演出した。
- レオ11世(ローマ教皇)、アレッサンドロ・オッタヴィアーノ・デ・メディチ(Alessandro Ottaviano de’ Medici、1535年 – 1605年、在位:1605年)。フェルディナンド1世の助力で教皇に選出されるも急死。メディチ家最後の教皇となった。
- フェルディナンド・デ・メディチ(大公子)(Ferdinando de Medici、1663年 – 1713年)、第6代トスカーナ大公コジモ3世の長男、大公子。積極的なパトロネージを展開し、「トスカーナの偉大なる光明(グラン・ルーメ)」としてイタリア中に名声を広めた。しかし晩年は梅毒にかかり、父に先立って死去し、大公位を継承することができなかった。
参考 Wikiwand