モスクワのクレムリンと赤の広場
クレムリンと赤の広場は、モスクワ大公国からロシア帝国、ソビエト連邦、そして現在のロシア連邦に至る歴史が刻まれた場所である。1156年に築かれた砦がクレムリンの起源となり、のちにイヴァン3世がレンガ造りの城壁や塔、城門を建造。城壁内にはウスペンスキー大聖堂をはじめ壮麗な聖堂群や宮殿が建てられた。城壁外には15世紀から大規模な市場が開かれていた「赤の広場」がある。
モスクワのクレムリンと赤の広場
モスクワ川とネグリンヤナ川の合流点の台地に建つ城塞宮殿。高さ10~20m、幅4~6mのレンガ造りの城壁で囲まれ、城塞には高さ80mのトロイツカヤ塔など19の尖塔がそびえている。「赤(「美しい」の意味がある)の広場」は長さ700m、幅130m。イヴァン3世が命名。赤の広場のシンボル、ヴァシーリー聖堂は、16世紀中頃イヴァン4世が設計させたものである。玉葱形屋根を持つ円柱状のチャペルは、大小9つの塔が寄り添って一体となっている。
参考 Kremlin and Red Square, Moscow – UNESCO World Heritage Centre
ロシアの歴史の中心となったモスクワ
モスクワ大公国は、ビザンツ帝国の後継者ツァーリ(皇帝)を自称したイヴァン3世によって1480年に独立した。イヴァン3世は、レンガの壁や城門を建設してモスクワの城壁をより強固にし、その中にウスペンスキー大聖堂やグラノヴィータヤ宮殿などを建てて、現在のクレムリン(ロシア語で「城塞」を意味する)の原型をつくった。クレムリンには、その後何世紀にもわたって聖堂や宮殿などが増設されており、色とりどりのタマネギ型円蓋をもつ聖ワシリイ大聖堂は、クレムリンを象徴する建物である。現在は総延長2,235mの城壁内にロシア連邦の大統領府や官邸がおかれている。城壁には宇宙飛行士ガガーリンやスターリンなどの国の重要人物の墓もある。
15世紀末ごろから、クレムリンの城壁周辺では市場が開かれるようになり、商業用広場としてにぎわったのが赤の広場である。ソ連時代にはこの広場にレーニン廟が建てられ、重要な国事行為のほか軍隊の閲兵式も行われた。「赤の広場」と呼ばれるようになったのは17世紀後半で、ロシア語で「赤い」とは「美しい」という意味をもっており、「赤の広場」とは「美しい広場」という意味であった。
18世紀初頭にピョートル大帝がサンクト・ペテルブルクに遷都すると、モスクワの繁栄も停滞したが、副首都として歴代ロシア皇帝の戴冠式が行われた。1918年に再び首都となり今日に至っている。
参考
世界遺産情報
クレムリンと赤の広場は、モスクワ大公国からロシア帝国、ソビエト連邦、そして現在のロシア連邦に至る歴史が刻まれた場所である。1156年に築かれた砦がクレムリンの起源となり、のちにイヴァン3世がレンガ造りの城壁や塔、城門を建造。城壁内にはウスペンスキー大聖堂をはじめ壮麗な聖堂群や宮殿が建てられた。城壁外には15世紀から大規模な市場が開かれていた「赤の広場」がある。
参考 くわしく学ぶ世界遺産300<第2版>世界遺産検定2級公式テキスト