ラクシュミー=バーイー
ラクシュミー=バーイー (WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ラクシュミー=バーイー


ラクシュミー=バーイー Lakshmi Bai ( A.D.1835〜A.D.1858)

インドの小王国の王妃で、インド大反乱の指導者の一人。「インドのジャンヌ=ダルク」と称えられ、イギリス軍もその勇敢な行動に敬意を表した。

ラクシュミー=バーイー

インドの小王国の王妃で、インド大反乱の指導者の一人。「インドのジャンヌ=ダルク」と称えられ、イギリス軍もその勇敢な行動に敬意を表した。

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イギリスに徹底抗戦した小国の王妃

「インドのジャンヌ=ダルク」と呼ばれたインド中部の藩王国ジャーンシーの王妃。跡継ぎがなく、国をイギリスに接収されて隠棲。それから3年後に起きたインド人傭兵シパーヒーの反乱において、自ら反乱軍の先頭に立ちイギリス軍相手に勇戦。戦死した。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

アジア諸地域の動揺

南アジア・東南アジアの植民地化

大反乱とインド帝国の成立
大反乱に加わった旧王侯
ラクシュミー=バーイー
ラクシュミー=バーイー像(画像出典:WIKIMEDIA COMMONS

インド大反乱の指導者のひとりナーナー=サーヒブは、マラーター同盟の宰相(事実上の最高君主)の後継者であったが、養子であるという理由でイギリスからその地位を承認されなかった(失権の原則)。大反乱の勃発に際し、臣下のターンティア=トピーに擁立され戦い、のち敗走中にネパールで死んだらしい。ターンティア=トピーはすぐれた武将で、たくみな戦術を駆使してイギリス軍を苦しめたが、最後には捕らえられ絞首刑に処せられた。インドのジャンヌ=ダルクと呼ばれるラクシュミー=バーイーは、ジャーンシー王国の王妃であったが、夫の死後に直系の世継ぎがいないという理由によって、その王国はイギリス領に併合された。大反乱がおこるとこれに加わって各地を転戦し、グワリオル城陥落のとき戦死した。これら大反乱の主役たちは、今日、民族的英雄の列に加えられている。

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