ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群
チベット自治区ラサ市、チベット仏教の寺院・宮殿。7世紀に成立したチベット初の統一王朝はラサに遷都し、紅山(マルポリ)に王宮を築き、追加登録された大昭寺(ジョカン寺)を建立した。しかし、9世紀半ばに吐蕃王国が滅亡し、現在のポタラ宮は17世紀にダライ・ラマ5世が建設。谷から110mの山の斜面に13層の高層建築物が建ち、頂上には金殿がある。2001年、郊外に広大な敷地を占める1755年建立の夏の離宮・羅布林(ノブリンカ)が追加登録された。
ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群
チベット仏教の聖地ラサにそびえる宮殿
標高約3,600mに位置するラサは、チベット仏教の聖地でありチベットの政治・文化の中心である。ラサをチベットの都としたのは、7世紀初めにチベットを統一した吐蕃第33代王ソンツェン・ガンポである。ソンツェン・ガンポは、インドと中国(唐)の仏教文化を積極的に取り入れ、サンスクリット語の教典をチベット語に翻訳させるなど、チベット文化の基礎を築いた。
ポタラ宮は、ソンツェン・ガンポが城を築いた丘に、チベットを統一したダライ・ラマ5世が17世紀に建設を始めた宮殿である。その後、歴代のダライ・ラマによる増改築の末、1936年に外観13層、約1,000部屋を有する現在の姿になった。内部には、ダライ・ラマの冬の住居で政治や宗教儀式も行われた「白宮」と、歴代のダライ・ラマが眠る霊廟「紅宮」がある。
そのほか、チベット仏教の総本山でソンツェン・ガンポの妃が創建したジョカン寺が2000年に、歴代ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ(「宝の国」を意味する)も2001年に範囲拡大により世界遺産に登録された。
1951年にチベットが中華人民共和国に併合されると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はインドへ亡命した。半世紀以上、主が不在のポタラ宮は中国政府に接収され、現在は博物館となっている。
人類史上最大の帝国・モンゴル帝国の分裂
13世紀、チンギス=ハンがたてたモンゴル帝国はユーラシア大陸に君臨する大帝国となった。モンゴル人は家畜が財産であるため分割相続を伝統としていた。チンギス=ハンの死後、大帝国は4つのハン国、そして元朝に分裂した。
登録建造物
- ポタラ宮
- トゥルナン寺(ジョカン寺・大昭寺)(2000年に追加登録)
- ノルブリンカ(2001年に追加登録)
アジア諸地域の繁栄
清代の中国と隣接諸地域
清朝支配の拡大
清朝は、内外モンゴルをはじめとする藩部に対しては監督官を派遣するものの、それら藩部の習慣や宗教についてはほとんど干渉しなかった。しかし、清はチベット仏教に対しては手厚い保護を与えた。
元代にチベット仏教は厚遇され宮廷内に広まり、歴代皇帝の熱狂的信仰もあって莫大な出費により国家財政は混乱し、滅亡の原因のひとつとなった。明も元に引きつづいてチベット仏教を厚遇し、とりわけ永楽帝はチベット仏教の信奉者となった。そのためチベット僧と明王室の関係はますます深まり、チベット僧の横暴と堕落とを招いた。
チベットの首都ラサの郊外マルポリ(紅山)山頂に白石で11層にきずかれた宮殿。歴代のダライ・ラマが居住し、毎年数万人のチベット仏教徒の巡礼が集まった。ポタラとは歴代のラマ(活仏)の化身とする、観音の住む所を意味する。
これ以降、チベット仏教の教主はダライ・ラマと呼ばれる。アルタン・ハーンが黄帽派チベット仏教の信者となって以後、モンゴル人の間にチベット仏教が広まった。1720年、チベットを領土とした清は、ダライ・ラマなどの活仏を保護・厚遇したが、これはチベットはもとより、チベット仏教信者の多いモンゴルの人々の支持をえようとしたのである。