ロイド=ジョージ
ロイド=ジョージ(WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

ロイド=ジョージ


ロイド=ジョージ Lloyd George( A.D.1863〜A.D.1945)

イギリスの自由党政治家・首相(在任1916〜1922)。 パリ講和会議 をウィルソン・クレマンソーと主導、フランスのドイツへの強硬な要求抑制に努めた。

ロイド=ジョージ

イギリスの自由党政治家・首相(在任1916〜1922)。 パリ講和会議 をウィルソン・クレマンソーと主導、フランスのドイツへの強硬な要求抑制に努めた。

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イギリスを代表して パリ講和会議 に出席

第一次世界大戦期のイギリス首相。 パリ講和会議 ではイギリスの全権としてヴェルサイユ体制成立に中心的役割を果たし、ドイツに極めて厳しい賠償請求を突きつける。1918年には選挙法を改正し、21歳以上の男子普通選挙と30歳以上の婦人参政権を認めた。

参考 ビジュアル 世界史1000人(下巻)

帝国主義とアジアの民族運動

帝国主義と列強の展開

イギリス

地主階級の影響力は低下したが、ロンドンの大富豪はむしろ地主への接近をはかり、彼らはジェントルマン資本家と呼ばれる。また、中産階級の間にもジェントルマンの意識が形成された。他方、大不況の影響で労働者の失業が増加し、社会的不平等が広まると、社会主義への関心があらためて高まった。1884年にウェッブ夫妻 Webb (夫1859〜1947, 妻1858〜1943)を中心に設立され、作家のバーナード=ショー Bernard Shaw (1856〜1950)も加盟したフェビアン協会は、実際的・漸進的な方法によって社会改良をめざす団体であった。フェビアン協会のほか、マルクス主義団体である社会民主連盟、労働者出身のケア=ハーディ Keir Hardie (1856〜1915)の設立した独立労働党、それに労働組合が合流して、1900年に労働代表委員会が結成され、06年には社会民主主義政党である労働党となった。1906年から第一次世界大戦まで政権を担った自由党内閣は、労働党の協力をえて労働争議法・養老年金法などの社会政策をつぎつぎに実行し、11年にはロイド=ジョージ蔵相 Lloyd George (1863〜1945)のもとで健康保険と失業保険を内容とする国民保険法を制定した。増大した社会政策費を調達し、ドイツに対抗する海軍拡張費をえるため、富裕層・地主の税負担を重くする「人民予算」が計画された。保守党が強い貴族院がこれに抵抗すると、政府は11年に議会法を成立させ、庶民院の法案決定権が貴族院に優先することを確定した。

二つの世界大戦

第一次世界大戦とロシア革命

総力戦と挙国一致体制

大戦が勃発すると、ドイツ社会民主党が戦時公債に賛成したように、社会主義者の多くは反戦の立場を貫かずに祖国防衛に転じ、各国で挙国一致体制が成立していた 。しかし、戦争終結への展望が開けず、国民生活も窮乏すると戦争遂行への疑問や不満が広まり、国際的な反戦運動を再建する試みもおこなわれるようになった。そのため各国政府は戦争目的を見失いがちな国民の心をよりひきつけるために、いっそう強力な戦争指導体制を再構築する必要に迫られた。ヴェルダンの攻防戦に失敗したドイツでは1916年8月にヒンデンブルク・ルーデンドルフの軍事独裁体制が成立して総力戦体制を確立した。イギリスでは、軍需相であったロイド=ジョージが1916年12月みずから挙国一致内閣の首相となって食料配給制度など経済に対する国家統制を強めた。

  • ドイツでは「城内平和」、フランスでは「神聖連合」という。

ヴェルサイユ体制下の欧米諸国

イギリスとフランス

イギリスは、大戦末期に30歳以上の女性選挙権導入や男性選挙権の改正などによって政治基盤を拡大させ(第4回選挙法改正 1918)、さらに28年には女性選挙権を男性と同じ21歳に引き下げ(第5回選挙法改正 1928)、ほぼ男女平等選挙権に近づいた。戦後最初の総選挙では、大戦中からの自由・保守党政権が圧勝し、ロイド=ジョージ政府は継続して平時体制への移行問題に対応した。大戦中もイギリス側と激しく対立していたアイルランド民族運動に対しては、1920年末、アイルランド統治法によって、北部のアルスター地域をのぞく諸州に自治を与え、さらに21年には自治諸州をアイルランド自由国として自治領と認めて、一定の解決をはかった。。

イギリスとフランス
1920年代の新国際秩序 ©世界の歴史まっぷ
パリ講和会議 とヴェルサイユ条約

1919年1月、パリで連合国 27カ国代表による講和会議が開催された。会議関係者総数1万人におよぶ史上最大規模の国際会議では、軍人ではなく政治家が主役となり、各国の議会の意向や世論、国民の動向が大きな影響を与えた点でも画期的であった。講和の枠組みはアメリカウィルソン大統領 Wilson (1856〜1924)が1918年1月に提案した十四カ条とされ 、また米・英・仏・イタリアと新たに指導的大国と認められた日本の五大国が全般的主導権をもつことを認められた。

とはいえ、日本はヨーロッパ内の諸問題に切実な関心がなく、またイタリアのオルランド首相 Orlando (1860〜1952)も領土要求がれられないとして会議を一時離脱するなどの行動をとったため、結局、米のウィルソン、英のロイド=ジョージ Lloyd George (1863〜1945)、仏のクレマンソー Clemenceau (1841〜1929)の三首脳間の協議が決定的な重みをもつことになった。この3国はロシア革命の波及阻止などでは共同行動をとったが、フランスが自国の安全保障問題にこだわり、イギリスは戦前の地位への復帰を求めて国際経済の再建を重視し、アメリカは十四カ条遵守に固執するなど、それぞれの目的や思惑に違いがあった。

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