ロロ(徒歩王) (846年頃〜933年頃)
ヴァイキングの公国であるノルマンディー公国の創始者。初代ノルマンディー公。ノルウェー出身。ヴァイキングを率いてきたフランス沿岸、セーヌ川河口地域を占領。シャルル3世(西フランク王)からノルマンディー公に封ぜられ、キリスト教に改宗(洗礼名ロベール)し、ルーアンに定着。
ロロ(徒歩王)
ヴァイキングの公国であるノルマンディー公国の創始者。初代ノルマンディー公。ノルウェー出身。ヴァイキングを率いてきたフランス沿岸、セーヌ川河口地域を占領。シャルル3世(西フランク王)からノルマンディー公に封ぜられ、キリスト教に改宗(洗礼名ロベール)し、ルーアンに定着。(ビジュアル百科 世界史1200人 1冊でまるわかり!)
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ世界の成立
ヴァイキングの活動
カール大帝の出現により、ゲルマン人の大移動以来の混乱に終止符が打たれた西ヨーロッパを、再び動揺の渦に巻き込んだのが9〜11世紀の第2次民族大移動であり、その中心をなしたのがマジャル人とヴァイキングであった。
デーン人は8世紀末から9世紀前半にかけて、沿岸伝いに北西フランスや東部イングランドに侵入した。まず海岸の主要都市を襲い、続いて河川をさかのぼって内陸諸都市を略奪した。西ヨーロッパの主張都市で、ヴァイキングの脅威にさらされない都市はなかった。これらの略奪的活動と並んで定住も進んだ。特に、セーヌ河口一帯に定着したデーン人は、ノース人出身のロロ(徒歩王)を首領にたびたび西フランクを脅かし、911年シャルル3世(単純王)からその地を領有を認められた。これがノルマンディー公国である。
ノルマンディー公国では、現地のフランス貴族との通婚により、次第にヴァイキング的な特質は失われるとともに、次男、三男以下の騎士が溢れるようになった。そうしたノルマン騎士の多くは、征服者や傭兵としてヨーロッパ各地に出かけたが、特にイスラーム・東ローマ帝国・神聖ローマ帝国などの支配が入り乱れ、政情不安な南イタリアは絶好の移住先であった。その結果、同地方におけるノルマン人の勢力が増大し、11世紀後半にはロベルト・イル・グイスカルドによりイタリア半島南部が、またその弟ルッジェーロ1世によりイスラームの支配下にあったシチリア王国が、それぞれ制圧されるにいたった。
そしてルッジェーロの子ルッジェーロ2世は両者の領土を継承したことにより、1130年、南イタリア(ナポリ王国)とシチリア王国を合わせた両シチリア王国が誕生することになった。
渾名
恵まれた体格が災いして馬に乗ると馬を乗り潰してしまうので、いつも徒歩で移動し、「徒歩王」ロロと渾名された。