上杉憲実 (
A.D.1410〜A.D.1466
室町幕府関東管領、上野国・武蔵国・伊豆国守護。山内上杉家8代当主。永享の乱で鎌倉公方足利持氏に勝利し、足利学校を再興したことで知られる。
上杉憲実
武家社会の成長
幕府の衰退と庶民の台頭
幕府の動揺と応仁の乱
足利義満のあとを継いだ将軍足利義持時代の幕府政治は、将軍と有力守護の勢力均衡が保たれ、比較的安定していたが、1416(応永23)年には鎌倉公方足利持氏(1398~1439)に不平をもっていた前関東管領上杉氏憲(禅秀 ?〜1417)が反乱をおこし、幕府に鎮圧される事件もおきている(上杉禅秀の乱)。5代将軍足利義量(1407〜25)が早世したのち、義持は後継者を定めぬまま死去したため、くじ引きによって義持の弟の足利義教(1394~1441)が6代将軍に選ばれた。義教は幕府における将軍権力の強化をねらって、将軍に服従しない者をすべて力でおさえようとしたため、幕府からの自立意識が強かった鎌倉府との関係が悪化し、11438(永享10)年、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実(1410〜66)が対立したのを機に、将軍義教は上杉憲実支援の名目で関東へ討伐軍を送り、翌年、足利持氏を討ち減ぼした(永享の乱)。
室町文化
文化の地方普及
足利学校
下野国足利におかれた儒学・易学・軍学の学校。創立については諸説(下野国学・小野篁創設・足利義兼創設)あるが定かではない。1439年永享の乱に勝利した関東管領上杉憲実が鎌倉の円覚寺快元を庠主に招いて再興。フランシスコ・ザビエルは「高野・根来・比叡・三井寺と並ぶ坂東における大学」と評している。 山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠
関東では、15世紀なかごろ、関東管領上杉憲実が足利学校(創立年代は室町時代初期とみられているが、正確にはわかっていない)を再興した。ここでは全国から集まった禅僧・武士に対して高度な教育がほどこされ、多数の書籍の収集も行われた。足利学校は、その後も小田原北条氏の保護を受け、多いときには3000人を超える学生が集まるほどの隆盛を迎えた。宣教師フランシスコ・ザビエルもこの「坂東の大学」こそ日本で最大の学校だと手紙に記している。