上杉禅秀 (上杉氏憲) (?〜1417)
室町前期の関東管領、上総・武蔵両国の守護。本名は氏憲、禅秀は法名。犬懸上杉家4代当主。鎌倉公方・足利持氏に不満をもち管領職を辞任。持氏の叔父の足利満隆や将軍・義持の弟足利義嗣らと合力して挙兵(上杉禅秀の乱)。持氏を駿河に追い出し一時鎌倉を占領するが、反撃され満隆とともに自害。この乱で犬懸上杉家は大きく衰退した。
上杉禅秀
幕府安定期に関東で挙兵
室町前期の関東管領、上総・武蔵両国の守護。本名は氏憲、禅秀は法名。鎌倉公方・足利持氏に不満をもち管領職を辞任。持氏の叔父の満隆や将軍・義持の弟足利義嗣らと合力して挙兵(上杉禅秀の乱)。持氏を駿河に追い出し一時鎌倉を占領するが、反撃され満隆とともに自害。
参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで
武家社会の成長
幕府の衰退と庶民の台頭
幕府の動揺と応仁の乱
足利義満のあとを継いだ将軍足利義持時代の幕府政治は、将軍と有力守護の勢力均衡が保たれ、比較的安定していたが、1416(応永23)年には鎌倉公方足利持氏(1398~1439)に不平をもっていた前関東管領上杉氏憲(禅秀 ?〜1417)が反乱をおこし、幕府に鎮圧される事件もおきている(上杉禅秀の乱)。