享保の飢饉 きょうほうのききん
1732(享保17)年に西日本一帯で、天候不順のなか、いなごやうんかが大量に発生して大凶作となり、全国的な飢饉となった。米価の高騰により民衆の暮らしは大きな打撃をこうむり、江戸では翌1733(享保18)年に、米を買い占めて米価を高騰させたとして高間伝兵衛という有力な米問屋が打ちこわされた。
享保の飢饉
幕藩体制の動揺
幕政の改革
一揆と打ちこわし
1732(享保17)年に西日本一帯で、天候不順のなか、いなごやうんかが大量に発生して大凶作となり、全国的な飢饉となった(享保の飢饉)。米価の高騰により民衆の暮らしは大きな打撃をこうむり、江戸では翌1733(享保18)年に、米を買い占めて米価を高騰させたとして高間伝兵衛という有力な米問屋が打ちこわされた。