八王の乱 A.D.290〜A.D.306
司馬炎の死後、一族の8人の王を軸におこされた西晋の内乱。恵帝の外戚が権力独占をはかったため、諸王がたちあがり、次々に政権を握った。諸王が隣接諸民族の武力を頼んだため、五胡の侵入を招いた。
八王の乱
司馬炎の死後、一族の8人の王を軸におこされた西晋の内乱。恵帝の外戚が権力独占をはかったため、諸王がたちあがり、次々に政権を握った。諸王が隣接諸民族の武力を頼んだため、五胡の侵入を招いた。
東アジア世界の形成と発展

北方民族の活動と中国の分裂
分裂の時代
八王の乱
武帝(西晋)のあと恵帝(西晋)が即位すると、これらの諸侯は外戚の政権争いに乗じて皇帝の後継者をめぐる争いを始めた(八王の乱)。
武帝(西晋)の子の恵帝(西晋 位290〜306)のとき、皇后の賈氏とその一族が、汝南王・楚王を利用して実権を握った。それに対して、趙王がたって賈氏を滅ぼし、恵帝(西晋)を退位させたので、斉王・長沙王・成都王・河間王がこれを討ち、306年、東海王が懐帝(西晋)を擁立して実権を握った。これを八王の乱といい、このとき、諸王が北方諸民族の軍事力を利用したため、これらの諸民族は自己の力を自覚するようになった。

さらに官僚たちの間では、実際の役に立たない議論をたたかわせるばかりで国家の危機的状況をかえりみない風潮(清談の風)がおこった。八王の乱のなかで兵力として活躍したのは、中国内地に住みついていた北方や西方からの遊牧民であり、これらが勢力をのばして各地で自立をはかり、晋の支配をくつがえした。