推古天皇 冠位十二階 憲法十七条
推古天皇像(土佐光芳画・部分) ©Public Domain

冠位十二階


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冠位十二階 (603(推古11)年 )
大王推古(推古天皇)・厩戸王(聖徳太子)・大臣蘇我馬子の三者の共治の推古朝が定めた日本で最初の位階制度。
徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小にわけて十二階とし、紫・青・赤・黄・白・黒の六色の冠を授けた。それまで氏族ごとに賜って世襲されたかばねとは異なり、個人の才能や功績、忠誠に応じて授けられたもので、その官人1代限りのものであり、また功績によって昇進することも可能であった。

冠位十二階

律令国家の形成

推古朝の政治

大王推古・厩戸王・大臣蘇我馬子の三者は、王権の周囲に諸豪族を結集させることによって権力を集中し、朝鮮諸国に対する国際的な優位性を確立しようとした。
推古朝の諸政策の中で特に重視すべきものに、603(推古11)年に制定された冠位十二階の制と、604(推古12)年に制定された憲法十七条とがある。
この二つが、600年の第1次遣隋使と、607年の第2次遣隋使との間に、そして600年と602年に計画された新羅遠征の直後に制定されていることは、見逃すべきではない。この両者は、世界帝国である隋朝と交際するための、文明国としての最低限の政治・儀礼制度だったわけである。彼らの目指した官僚制的な中央集権国家は、あくまで国際情勢の中でとらえなければならない。

冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小にわけて十二階とし、紫・青・赤・黄・白・黒の六色の冠を授けたものである。
官位はそれまで氏族ごとに賜って世襲されたかばねとは異なり、個人の才能や功績、忠誠に応じて授けられたもので、その官人1代限りのものであり、また功績によって昇進することも可能であった。
これは中国の官品や朝鮮諸国の官位を模範したものであったが、この制度によって、倭国の支配者層は、氏姓制度の世襲制を打破し、官僚制的な集団に自己を再編成しようとしたことになる。
これ以降の官位・位階制は、全てこれを源流としている。
鞍作鳥くらつくりのとり秦河勝はたのかわかつ小野妹子おののいもこらは、従来の門地にとらわれずに官位を授与された例である。なお、この官位を授けられたのは、中央豪族のうちの大夫まえつきみ層以下の階層であって(律令制の四位以下)、大臣家としての蘇我氏や、王族、さらに地方豪族は、官位授与の枠外にあった。

冠位十二階

冠位十二階は、徳・仁・礼・信・義・智をそれぞれ大小にわけて十二階とし、紫・青・赤・黄・白・黒の六色の冠を授けたものである。
官位はそれまで氏族ごとに賜って世襲されたかばねとは異なり、個人の才能や功績、忠誠に応じて授けられたもので、その官人1代限りのものであり、また功績によって昇進することも可能であった。
これは中国の官品や朝鮮諸国の官位を模範したものであったが、この制度によって、倭国の支配者層は、氏姓制度の世襲制を打破し、官僚制的な集団に自己を再編成しようとしたことになる。
これ以降の官位・位階制は、全てこれを源流としている。
鞍作鳥くらつくりのとり秦河勝はたのかわかつ小野妹子おののいもこらは、従来の門地にとらわれずに官位を授与された例である。なお、この官位を授けられたのは、中央豪族のうちの大夫まえつきみ層以下の階層であって(律令制の四位以下)、大臣家としての蘇我氏や、王族、さらに地方豪族は、官位授与の枠外にあった。

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