十四カ条 1918
アメリカ合衆国大統領ウィルソンが発表した第一次世界大戦の講和のための原則。ヴェルサイユ条約に大きな影響を与えた。17年11月にソヴィエト政府が、無併合・無賞金・民族自決を掲げた「平和に関する布告」を発表し、大戦中の秘密条約を暴露して各国の帝国主義政策を批判したことに対抗して発表された。主な内容は、秘密外交の廃止、海洋の自由、経済障壁の撤廃、軍備縮小、民族の自決、植民地問題の公正な解決、国際組織の設立など。
十四カ条
アメリカ合衆国大統領ウィルソンが発表した第一次世界大戦の講和のための原則。ヴェルサイユ条約に大きな影響を与えた。17年11月にソヴィエト政府が、無併合・無賞金・民族自決を掲げた「平和に関する布告」を発表し、大戦中の秘密条約を暴露して各国の帝国主義政策を批判したことに対抗して発表された。主な内容は、秘密外交の廃止、海洋の自由、経済障壁の撤廃、軍備縮小、民族の自決、植民地問題の公正な解決、国際組織の設立など。
二つの世界大戦
第一次世界大戦とロシア革命
合衆国の参戦と戦争の終結
1918年1月、ウィルソン大統領は、レーニンのおこなった和平提案や秘密条約の公表に対抗し、革命の広がりを阻止するために、秘密外交の廃止、海洋の自由、民族自決などからなる十四カ条の平和原則を発表した。
ヴェルサイユ体制下の欧米諸国
パリ講和会議 とヴェルサイユ条約
1919年1月、パリで連合国 27カ国代表による講和会議が開催された。会議関係者総数1万人におよぶ史上最大規模の国際会議では、軍人ではなく政治家が主役となり、各国の議会の意向や世論、国民の動向が大きな影響を与えた点でも画期的であった。講和の枠組みはアメリカウィルソン大統領 Wilson (1856〜1924)が1918年1月に提案した十四カ条とされ ❶ 、また米・英・仏・イタリアと新たに指導的大国と認められた日本の五大国が全般的主導権をもつことを認められた。とはいえ、日本はヨーロッパ内の諸問題に切実な関心がなく、またイタリアのオルランド首相 Orlando (1860〜1952)も領土要求が容れられないとして会議を一時離脱するなどの行動をとったため、結局、米のウィルソン、英のロイド=ジョージ Lloyd George (1863〜1945)、仏のクレマンソー Clemenceau (1841〜1929)の三首脳間の協議が決定的な重みをもつことになった。この3国はロシア革命の波及阻止などでは共同行動をとったが、フランスが自国の安全保障問題にこだわり、イギリスは戦前の地位への復帰を求めて国際経済の再建を重視し、アメリカは十四カ条遵守に固執するなど、それぞれの目的や思惑に違いがあった。
ウィルソンの十四カ条
- 秘密外交の廃止(西欧列強がおこなってきた秘密外交を批判、国民に開かれた外交を主張した)
- 海洋の自由(戦時においても公海の自由航行を主張した)
- 経済障壁の撤廃(開放的な通商関係の樹立を主張した)と通商条件の対等化
- 軍備縮小(各国が安全確保に必要最低限まで軍備を縮小することを主張した)
- 植民地再配分要求の公正な調整(植民地の権利だけではなく、植民地を持つ国の権利にも考慮すべきであると規定し、「民族自決」に反する内容も含んでいた)
- 全ロシア領からの撤兵
- ベルギーからの撤兵とベルギーの主権回復
- 全フランス領から撤兵とアルザス・ロレーヌのフランスへの返還
- 民族居住線に沿ったイタリア国境の修正
- オーストリア=ハンガリー内諸民族に対する自立的発展の機会の保証
- ルーマニア・セルビア・モンテネグロからの撤兵、バルカン諸国の政治・経済的自立と領土保全への国際的保証(民族自決:各民族が自らの意思でその帰属や政治組織を決定するべきことを主張。東欧の諸民族を対象とし、アジア・アフリカの植民地には適用されなかった)
- オスマン帝国内のトルコ領土の保全、他諸民族の自立的発展の保証
- 外海への自由な交通路を与えられた独立ポーランド国家の樹立
- すべての国家の政治的独立と領土保全を相互に保障する国際組織の設立(戦後に国際連盟として結実した)
ヴェルサイユ体制と国際連盟
十四カ条とヴェルサイユ条約以下の各講和条約で形成された国際体制は、全体としてヴェルサイユ体制と呼ばれ、それを統括する場として国際連盟 League of Nations が想定されていた。国際平和と安全保障のための史上初の国際組織である連盟は、1920年1月ヴェルサイユ条約の発効と同時に正式に発足した。加盟国は当初連合国 32カ国のみで構成され、ドイツなど旧同盟国とソヴィエト=ロシアは排除された。連盟は本部をスイスのジュネーヴにおき、国際労働機関(ジュネーヴ)と常設国際司法裁判所(ハーグ)が付置された。連盟の最高議決機関は年次総会で、重要な議決機関として理事会があり、英・仏・イタリア・日本の4カ国が常任理事国となった。アメリカ合衆国も常任理事国となることが予定されていたが、対外的義務の負担と外交的自由の拘束を嫌う共和党保守派の反対とウィルソン大統領自身の非妥協的姿勢によって、19年11月、上院でヴェルサイユ条約批准が否決されたため、国際連盟にも加盟しなかった。そのため、合衆国とドイツとの講和条約は1921年8月個別にベルリンで調印された。合衆国の不参加、敗戦国と革命ロシアの排除によって、ヴェルサイユ体制は事実上ヨーロッパ中心の国際体制という構造になった。