十月宣言
1905年10月、第1次ロシア革命を鎮静化するためにニコライ2世が出した宣言。ドゥーマ(国会)開設・憲法制定・内閣制採用などを公約した。
十月宣言
1905年10月、第1次ロシア革命を鎮静化するためにニコライ2世が出した宣言。ドゥーマ(国会)開設・憲法制定・内閣制採用などを公約した。
帝国主義とアジアの民族運動
帝国主義と列強の展開
ロシア
奉天会戦での敗北(3月)、バルト海艦隊の壊滅(5月)によってロシア指導部が動揺するなか、黒海艦隊のポチョムキン号で水兵の反乱(戦艦ポチョムキンの反乱)もおきた。10月に革命は最高潮に達し、労働者・鉄道員・学生・商店主・市民・役人を含む大規模なゼネストが全国に広まり、交通・通信はストップした。この革命の際にペテルブルクで労働者代表の自治組織ソヴィエト Soviet (評議会)が初めてつくられ、ロシア社会民主労働党や社会革命党が結集した。皇帝ニコライ2世(位1894〜1917)はヴィッテら自由主義者たちの進言にもとづいて十月宣言を発し、立法権をもつ国会(ドゥーマ Duma )の開設と市民的自由を認めた。これをうけて自由主義者たちは議会活動にむけて立憲民主党(カデット)などの政党を結成したのに対して、ソヴィエトはモスクワで蜂起したが鎮圧され、革命運動には厳しい弾圧が加えられた。