南北朝時代(中国) (439年〜589年)
北魏が華北を統一した439年から隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。
北魏による華北の統一から隋(王朝)成立にいたるまでを北朝といい、建康に都をおいた短命で終わった政権の宋・斉・梁・陳を合わせて南朝という。
(220年に後漢が滅んで三国の魏が成立してから、589年に隋が陳を滅ぼし中国を統一するにいたるまでの時代を総称して、魏晋南北朝時代と呼んでいる。)
南北朝時代(中国)
東アジア世界の形成と発展
北方民族の活動と中国の分裂
北朝
東魏・西魏
孝文帝の死後、漢化政策に反対する軍人の反乱をきっかけにして内紛がおこり、国力は急速に衰え、やがて東魏と西魏に分裂した。
北周
北周は、東魏にとってかわった高氏の北斉を併合して華北を再び統一し、581年に楊堅(隋の文帝)によって国を奪われるまで続いた。
この北魏による華北の統一から隋(王朝)成立にいたるまでを北朝という。
南朝
宋
一方、江南に東晋が成立すると、華北に住んでいた漢人の貴族や豪族、そして多くの農民が戦乱をさけてこの地に移住した。このため開発の途上にあった長江の中・下流域は、急速に発展した。東晋は約100年続いたが、その末期には政治が乱れ、華北への反攻で戦果をあげた武人出身の劉裕(武帝)が帝位について宋(南朝)(420〜479)をたてた。
斉・梁・陳
その後も江南では同様の政権交代がくりかえされ、そうに続いて斉(南朝)・梁(南朝)・陳(南朝)の短命な政権がつぎつぎに興亡し、最後の陳(南朝)も、北周をついだ隋によって滅ぼされた(589)。宋(南朝)以降の4つの政権は、いずれも東晋と同じように建康に都をおいた。これらの諸政権を合わせて南朝といい、さらに呉と東晋を含めて六朝という。
また、220年に後漢が滅んで三国の魏が成立してから、589年に隋が陳を滅ぼし中国を統一するにいたるまでの時代を総称して、魏晋南北朝時代と呼んでいる。
宋(南朝)から以降、皇帝になったものは、おおむね身分の低い武人の出身者であった。貴族たちは、その地位を保つため、こうした皇帝に官僚として仕えながら、貴族社会を確立していった。したがって、南朝では、いずれも貴族勢力が優勢で、皇帝権は振るわなかった。
五胡十六国と南北朝 – 世界の歴史まっぷ