南詔 (不明〜902)
南詔(不明〜902)は、中国雲南地方において、唐と吐蕃の間隙をぬって、7世紀末〜8世紀前半にチベット・ビルマ系の人々が建国した。唐(王朝)文化をとりいれ、漢字を公用し、仏教の奨励に努めたが、唐が衰えると、しばしば四川地方に侵入して、唐を苦しめた。しかし10世紀初め、内紛によって滅亡した。その後、南詔に服属していた段氏が大理国(937〜1254)をたて、モンゴルのフビライに滅ぼされるまで存続した。
南詔
東アジア世界の形成と発展
東アジア文化圏の形成
唐文化の波及と東アジア諸国
南詔(不明〜902)は、雲南地方において、唐と吐蕃の間隙をぬって、7世紀末〜8世紀前半にチベット・ビルマ系の人々が建国した。唐(王朝)文化をとりいれ、漢字を公用し、仏教の奨励に努めたが、唐が衰えると、しばしば四川地方に侵入して、唐を苦しめた。しかし10世紀初め、内紛によって滅亡した。その後、南詔に服属していた段氏が大理国(937〜1254)をたて、モンゴルのフビライに滅ぼされるまで存続した。